果樹園

Kaju
果樹園
ラリイ・ワトスン
栗原百代 訳
ランダムハウス講談社
★★★★


主要な登場人物は、四人。
りんご農家のヘンリー・ハウスと妻のソニア。
世界に名声を馳せた天才画家ネッド・ウィーヴァーとその妻ハリエット。
それぞれ、そのつれあいを愛しているが、家庭は冷え切っていた。
それそれが、それぞれに苦しんでいる。なんとかしなければ自分が自分ではなくなってしまうほどに苦しんでいるのに、それを救ってくれるものをもはや連れ合いには見出せない。
家庭のなかではどうにもならないところまで来ている・・・
でも決して家庭を壊してはいないのだ。うらぎってもいないのだ。そして連れ合いをかけがえのない存在と知っているのです。

こういう家庭のなかで、なんとか父と母の気持ちをつなぎとめておけないものかと悩み苦しむハウス家の娘ジューン(8歳)がけなげでかわいそうでした。
彼女が大人になってから描いたという風船の絵がくっきりと見えるような気がしました。8歳のころのジューンの気持ちとして。
木にひっかかってかろうじてつなぎとめられている真っ赤な風船。
きれいな赤い風船は、でもよく見るとしわがよっている・・・

起きてしまう事件は、最初から暗示されていて、
それ以前のときを行ったり来たりしながら進む物語は、時間の流れがわかりにくくて、「あれ、いつのことを言ってるのかな」と思ったり、一様に不安な気持ちで読み進めました。

どの人の気持ちも、すこしずつわかる。
画家ウィーヴァーの鼻持ちならない傲慢さは限りなく不愉快だが、それでも芸術に対する真摯な思いは「わかる」のだ。
自分の最愛の妻が、モデルになることが理解できない、許せないヘンリーの気持ちも。とてもわかる。
長年どうにもならない自分の感情を押し込めることだけに腐心してきたハリエットも、もはや描かれることでしか浄化の方法を見出すことのできないソニアも、わかるのです。わかってしまうのです。
・・・だけど、「わかる」というだけではなんにもならないのでした。いくらわかっても、彼らの間に生まれた溝を埋めることはできないし、一度失ったものは二度と戻ってこない。
「元通り」ということはないのだと・・・

「もとどおり」にならないなら、進むしかないのか・・・
「それ」が起きてしまったとき、ウィーヴァーと同じくらい、不思議に読者である私自身も安堵していたような・・・
予想しなかったことなので(はらはらしてはいたけれど、別の事が起こるのではないかと心配していたので)驚いたけれど、
こういうことを待っていたような気がしました。

でも、こんなふうに進んで、これが「浄化」なのか、これが「成就」なのか。
あまりにつらいじゃないか・・・でも、そうするしかなかった・・・
他に方法はなかったのか、とせつなく振り返っても、四人の閉塞感がよみがえるばかり。
折り合いをつけることのできなかった気持ち。その結果。
その後の人生のなかでずっとそれを胸に抱いて生きていく・・・
そういう人生がある。
誰も知らないけど、そういう思いを抱えて生きていく人々はきっといる。

ウィーヴァーの描いた絵の描写がどれも印象的なのですが、なかでもひとつの絵が読み終えた後で、目の前に浮んできました。
ソニアを描いた作品のひとつ。
海と砂浜だけの絵。人物は描かれていない、あるのはただ海と砂浜だけ。・・・なのに、わずかな砂のくぼみから、そこにさっきまで横たわっていた女性の姿が思い浮かぶ、その絵。
画家が最後までつかめないまま格闘し、征服できないジレンマと戦ったモデル、ソニア。
いないソニアがそこにいる、と感じるその絵が、この本を読み終えたあと、蘇ってくるのです。
だれもが、幻を追いかけて苦しんでいたのではなかったのか、ほんとうに彼らはそこに、いたのでしょうか。あの美しい風景の中に。