物語の役割

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)


読み終わってしまった。もっと読んでいたかったのに。
物語について小川さんが様々な機会に語った話を文章にしたもの、とまえがきに書かれていましたが、もっともっと語って、もっともっと聞かせてほしかった。
忘れたくない言葉に付箋を貼って居たら、付箋だらけになってしまいました。

博士の愛した数式」が生まれた背景について語る小川さん、
魔法のような数式や、数学者たちのロマンチストな横顔について語る小川さん、
ホロコースト文学について語る小川さん、
ご自身の読書歴を振り返り語る小川さん、
そして、どんなふうに小川さんの小説が生まれるのか、
物語を書くことや、物語がのこっていくことの意味・・・
滋養のある食べ物のように、一言一言を大切に味わいます。


ことに、ホロコーストの犠牲になった人たちについて語られた言葉は、心に残ります。

>ここにこうして存在しているのは、決して当たり前のことではない。
自分とは、さまざまな犠牲の上に成り立つ、ほとんど奇跡と呼んでいい存在なのだ・・・

一万五千人の子供たちが収容され、そのなかの百人しか生き残らなかったというテレジン収容所で、先に見えるものは「死」しかない、明日殺されるかもしれないというその収容所で、子供たちに絵を教えていたというディッカー先生。
屋根裏に隠されていた子供たちの絵の輝き。
子供たちの絵の題材が、過去の幸せな日々から採られていたことを思えば、ディッカー先生。
あした死ぬとしても、最後の瞬間まで人は成長できる・・・それを助けようと決心して実行することができる、なぜなぜ、そんなに強くいられるのでしょう。
歴史に名が残らない普通の人々。普通の人々の中にある偉大な魂。
物語が、その魂を見出す。無理やり掘り上げるのではない、そっと近づいていき、掬い上げる。
(今を生きている子供たち。あふれる愛のうちに暮らし、幸せな瞬間をたくさん味わって欲しい、と願います。その幸福の思い出がきっと光となって、厳しい時代にも自分を照らし、助けてくれる・・・。)

物語もまた人々の心に寄り添うものであるならば、強すぎてはいけないということになるでしょう。

心に寄り添う物語・・・
強い引っ張りもなく、厳しい言葉もなく、さりげなく、いっしょに歩いてくれる物語。そんな物語をわたしは読みたい・・・


最後に、イスラエル版の「博士の愛した数式」の翻訳エージェントさんからのメールの一文
「同じ本で育った人たちは共通の思いを分かち合う」という言葉に目が覚めるような気がしました。
小川洋子さんは言います。

>爆弾が飛び交っている下で、私の小説が読まれることもあるかもしれない・・・

私の愛する物語が、どこか、言葉も環境も違うなかで、たくさんのだれかに読まれているかもしれないのです。
そして、誰かが私と同じ文章に感動しているかもしれない。
そう思うとき、一瞬、私たちは、触れ合うことができるのかもしれない、
民族も言葉も世代も超えて、国も超えて、ううん、時代さえも超えて、一冊の本だけが仲立ちになって、手をつなぎ合えるのかもしれない、それはとてもすごいことではないでしょうか。