遠い朝の本たち

Toi
遠い朝の本たち
須賀敦子
筑摩書房
★★★★


須賀敦子さんの遠い少女時代。子供の頃から大学生のころまでの日々を、そのころ夢中で読んだ本とともに振り返ります。
読書案内などとは違っています。
第一、この本の中で語られる本の大半は現在入手は困難だろうし、
たとえ手に入っても、これは須賀さんの本で、わたしの青春期には私だけの本があった、と思い出すのです。(と言いつつ、リンドバーグ夫人あたりは抜け目なくチェックしておこう)

時代は太平洋戦争を挟んだころ。
ねえやが何人もいる家、小学校からミッションスクールに通った須賀さんと、思いっきり庶民のわたしでは、まるっきり生活も文化も違っていたはずなのに、本を仲立ちにして語られると、共感することが多くて。
うん、うん、わかるわかる、と自分の子供の頃の思い出が鮮やかによみがえってくるのです。
そして、わたしの思い出の中に娘たちの小さい頃の思い出まで混ざりこんでしまって、渾然一体で、本との良い関係を持てた心地よさと、ある種のプライドのようなものに恍惚となってしまう。

私、この本が好き。「ミラノ霧の風景」より「トリエステの坂道」より好きです。
この本でも、須賀さんの言葉は相変わらず美しく、しかも無駄がなく、思い出を語りながらも決して後ろ向きではないのです。それが好き。
でも、何よりも、この本の中には私の居場所がありました。
ミラノでもトリエステでも、わたしは傍観者に過ぎなかったし、あるいは、須賀さんに招かれたお客様のような感じでした。
でも、この本の中で、わたしは須賀さんと(恐れ多くも)自分を同化させて頷き、また、そこから派生した自分の思い出の中のおかしなことや小さな冒険などを思い出して、くすっと笑ったりできるのです。

昔から本が好きでした。
決して自慢できるような本を読んでいたわけではありません。
青春期にもっともっと良いものを読んでおけばよかった、と思うこともあります。
でも、読んでいました。
読んだ本のタイトルから、その当時の自分の姿や友達、家族の顔まで思い出せる、ああ、わたしは本が好きでよかった、と思うのです。

須賀さんの大学院時代、彼女の部屋に集まった友人たちと一冊の本について語り合う夜。

  >・・・わたしたちはいったい何時間しゃべりつづけただろうか。
   共通の世界観とか、自由なままでいるなかでの愛とか、
   まだほんとうに歩きはじめてもいない人生について流れる言葉は、たとえようもなく軽かった。
   やがてはそれぞれのかたちで知ることになる深いよろこびにも、
   どうにもならない挫折にも裏打ちされていなかったから、
   私たちの言葉は、その分だけ、はてしなく容易だった。

そうだ、だれにもそんな青臭い思い出が眠っているはず。青臭い。そして軽い。だけどとても真剣で、とてもとてもいとおしい日々。

この本は「しげちゃんの昇天」という章から始まります。
若い日の須賀さんに深い影響を及ぼした大切な友人。そして、生涯において(決して自由に何度も会えたわけではないのに)大切な人。
そして、最後の章で、少女時代の古いバースデイブックに記された懐かしい文字から、また、須賀さんの文章はこの友人に戻るのでした。
その静かで深い友情が、須賀さんの本にまつわる思い出のなかにずっとあったようで、読後はしんと静かな気持ちになるのです。

何度も何度もゆっくりゆっくり読み返したい本です。
図書館の返却に追われてワサワサと読んでしまいましたが、こんなふうにこの本を読んではいけないと思いました。
これ買いたい。手許において、ゆっくり何度でも読み返したい、と思います。