京のかざぐるま

Kyouno
京のかざぐるま
吉橋道夫
岩崎書店
★★★★


幕末の京都が舞台。
大人の中に入って働いている庶民の子供を主人公にした7つの短編。
新撰組長州藩のさむらいが駆け回り、船宿寺田屋が出てきて、坂本竜馬の名前などもちらっと噂に上る。
大きく日本が変わろうとしているとき。
戦の火があちこちにのぼり、いやおうなしに巻き込まれていく庶民。

毎日がめまぐるしく変わる不安で物騒なこの時代に、
いつも変わらず、ひたすらに生きようとする貧しい子供。
いじらしい、とかがんばってる、とか、そんな言葉が恥ずかしくなるくらいに、
ひたすらに、こつこつと、働き、暮らしている彼らの日常のあたりまえさ。その強さに打たれずにはいられない。

  >きょう力のあるものが、あしたも強いとはかぎらんのじゃ。
   ほんとうに強いのは、毎日のくらしをまもって生きとる町人や百姓じゃ。
第一話「筆」のなかで、寺子屋の先生をしていたおりんちゃんのおとうさんが言った言葉が心にのこる。
そう、あきらめないで、一日一日をひたすらに生きる。暮らす。暮らす――その言葉のずっしりとした重さ。

どの話が特別に好き、というわけではない、どの話も印象に残る場面があって、どの子もどの子も、その強さたくましさは、まぶしかった。
それでも、まず、一番先に目に浮かぶのが、「夏だいだい」のなかの、兄の足元にころがった鮮やかな夏みかん。乾いた街路、汚れた足元に、なんとすがすがしい美しい色・・・切なくて切なくて、そしてとても爽やかな、だいだい色。
それから、「おけ」の少年の、自分たちの仕事に対する誇り。最後のページの、桶を背中にくくり直して走り去る彼のぴんとした後姿がくっきりと目に浮かぶ。

こうした彼らを温かく見守るのがやはり庶民の大人たち。
権力もなく、財産もなく、たいした教育を受けたわけでもないだろう彼ら(自分たちの生活だけでもせいいっぱいのはずなのに)は、
しかし、一昨日も昨日も今日も真摯に生きてきた。
その彼らの大きな知恵と余裕(?)が、子供らを大きな目で見守っているようだ。

そして、まるで小さな歯車のようにしか見えない侍たちの大きな威張り方がなんだか可笑しくて悲しくて、むなしい。

動乱の時代。
どんなヒーローが現れて、どんな華々しい事件が起こったとしても、
ほんとうのヒーローは決して表に表れないだろう。表に出ることを望まないだろう。
そして、ただひたすらに、静かに今日を生きていく。暮らしていく。

同じ作者の「なまくら」とともにこの本も手元にほしくなりました。
――勇気をありがとう。