さよなら僕の夏


Tanpopo

たんぽぽのお酒
レイ・ブラッドベリ 北山克彦訳 晶文社

Natu

さよなら僕の夏
 レイ・ブラッドベリ 北山克彦訳 晶文社

「さよなら僕の夏」2007.10.15.読了  ★★★

ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」にわたしは15歳のときに出会いました。
イリノイ州の田舎町グリーンタウンの夏、おろしたてのテニス靴で駆け回る12歳のダグラスを中心に、町の中で起きた様々な印象的な出来事をモチーフのようにつなげてみせてくれた「たんぽぽのお酒」は美しい散文詩のようだった。
そのエピソードのひとつひとつがなんと輝かしかったことだろう。
読み終えるのが嫌だった。ずうっとこの魔法のお酒を味わっていたい、と願ったのです。
(「たんぽぽのお酒」の感想はこちらに書いています。)

***

「たんぽぽのお酒」の続編が出ている、と聞いて、わくわくが最高潮に達しました。
――大好きな大好きな本の続編を87歳のブラッドベリが55年ぶりに書いた。タイトルは「さよなら僕の夏」
本屋さんへ直行!まずは手元におかなくちゃ。そして、 目指す本を手に入れたときの至福の瞬間。
ああ、決めた、決めた♪ わたしの読書日記復帰第一号はこの本に決まり!
もうこれだけで読み始める前に既に、この本からの一番大きな感動を受けてしまったような感じでした。

・・・・・・

「たんぽぽのお酒」発刊から、50年のときを経てやってきたこの本「さよなら僕の夏」はわたしが思っていたのとはかなり違っていました。
まず、本全体がひとつの長い物語でした。雰囲気は、「たんぽぽのお酒」より「ハロウィーンがやってきた」のほうに似ているかな。
そして、ダグラスは14歳になっていた。
大人と子供のはざまにいる彼(と彼の仲間たち)は焦っている。するすると流れ落ちていく彼らの時間、待った無しで輝かしい少年時代(夏)は去っていく。彼らはそれを手放すのを恐れている。
彼らの焦りが、老人たちへの宣戦布告であり、広場のチェス盤から駒を残らず奪い去ることであり、さらに、郡庁舎の大時計を爆竹で爆破することまで・・・

わたしには正直よくわからないところが多かったのです。
ダグラスの感覚についていけなくなるときが何度もありました。
とくにあのテントの中のガラス瓶はだめでした。飛び出していったトムがわたしに一番近かった。
――気持ち悪いよ・・・
もしわたしが男の子の心を持った大人であったら、たぶんダグラスに心から感情移入できただろうに・・・
作者が感じているのと同じように男の子が持っているブラックで破壊的な世界を甘美なものとして愛することができたら・・・

この物語は少年が大人になる物語。
これから向かう世界(忌み嫌っていたはずの)に、手を差し伸べる物語。
それは少年期を捨てることではなくて、新しい自分と子供の自分が良い具合に混ざり合うこと・・・
そして、老人が、自分の中の少年を取り戻す物語。

でも、12歳のトムがダグラスのベッドの脇で嘆くのが切ない・・・いずれ彼にもやってくる、でもまだそのときではないことを知っているトム、誰よりも兄の近くにいるのに、確実においていかれるのを知っている。でもまだ自分はついていけないから。だからせつない。

たんぽぽのお酒の輝かしい夏のあとにこの物語をどうしても書かなくてはならない、と考えた作者の気持ち、わかるように思います。

  >「年老いた人たちが別の惑星からきたというのはいいさ、
    でもおじいちゃんやおばあちゃんはどうなんだい?
    ・・・あの人たちもエイリアンだというのかい?」
と、トムは兄のダグラスに聞きます。ダグラスは赤くなるだけで答えられません。
すばらしいおじいちゃん!
答えられなかった本当の答えが、この物語の終わりに、ダグラスにもわたしたちにも見えるようになっているのです。
そして、「たんぽぽのお酒」の中にもちょっと書かれていた若者の老人に対する残酷さにも意味があることに、なんとなく合点がいくのです。
ダグのおじいちゃんほどの叡智はなくても、みずみずしい感性をできれば持ち続けて老いていきたいなあ、わたしも。
 
ダグラスの感覚についていけない、と書いたけれど、それでもいい・・・自分に相応しい方法で大人になることを受け入れればいいじゃないか。・・・だよね?

季節は10月。夏は終わる。確実に夏は終わる。
だけど、もっと輝かしい季節が訪れる――自分の中に夏をずっと内包しながらそれを迎える。。