『 ノラや』  内田百閒

「冥土」や「サラサーテの盤」とはまるっきり世界が違う、と聞いていたが、なるほどです。
この本は百閒先生の飼い猫ノラ、クルのことを綴った「ノラや」「ノラやノラや」を中心とした猫にまつわる随筆を集めたもの。

ひたすらかわいがっていたノラという猫。このかわいいしぐさの描写を読めば、特に猫好きとはいえないわたしでも、「猫と暮らしてみたい」などと思ってしまう。とにかくかわいい。そして、この猫を甘やかす筆者の姿は、孫をべたべたにかわいがるおじいちゃんそのものです。
好々爺。これが「冥土」や「サラサーテの盤」を書いた人と同じ人ですか。共通しているのは、文章の美しさ、かなあ。

さて、この大切なノラがいなくなってしまう。帰ってこないのだ。 百閒先生の狼狽ぶりはいかばかり。涙を流し、あれこれを思い出してはくよくよと考え、また涙を流し、食べる意欲もなく、涙を流し、仕事は全く手につかず、さらに涙を流し…

そして、新聞の折込、、警察への捜査依頼、びら、ご近所の情報網、さらに、外国人向け英文ビラまで。一度ならず二度三度四度五度…
すごい、踊る大捜査線
そして、「見た」との情報を得ようものならどこまでだって飛んでいく。少しばかりの定かでない情報に心躍らせ、そして、どーんと落ち込む。繰り返す。

しかしなんと、「かわいいノラが帰ってこないんだよ、かわいそうで心配で夜も眠れないんだよ!だから仕事なんか手につかないんだよ」とそれだけのことをこれだけ繰り返し書きまくり作品として発表してしまう、もうプライドも何もかなぐり捨てた文章に実は心動かされている。

猫と暮らしたことはないけれど、かわいがっていた犬が死んだのは、わたしが嫁いでから。実家からの電話で知った。犬の死に目に会っていないので、まだどこかにいるような気がずーっとしていた。
そんなことがよみがえって、百閒先生の狼狽振りが、妙に身近に感じて切なかった。

生きているのか死んでいるのか。ノラがいなくなって10年以上、ずっと百閒先生はノラがひょっこり帰ってくるのではないかと待ち続けている。
その後ノラはどうなったのか。