『ぼくらのサイテーの夏』 笹生陽子

長い夏休みに、少年たちが成長する物語はたくさんあるけれど、この物語は、特に冒険があるわけではありません。長きに渡る「何にも無し」が子供を成長させることもあるんだなあ…。
「階段落ち」という危険なゲームをやった罰則で夏休み中のプール掃除を命じられた二人の少年(6年生)は、これまで互いの存在を意識したわけでもない、たまたまそこに居合わせたなんとなく嫌なやつ、という間柄。
二人とも、ひとたび家庭に帰れば一人では抱えきれない問題を抱えている。
そう、文字通りサイテーの夏なのでした。この二人が友情を築く物語なんだな、と思いつつ読み始めました。
そうなのですが、二人がだんだん距離を詰めていく過程が自然で、センスよくて、そこここに散らばったエピソードの数々もよかったです。

「何をそんなにとんがっているんだい」と言いたくなるような少年の独白から始まる物語は、なんとなくアクが強いような感じがして、ちょっと入りづらいな、と感じましたが、そこを我慢して読み進めると、主人公「ぼく」こと桃井の苛立ちに共感し始め、おもしろくなってきます。

子供が外で見せる顔は、彼の持っている顔のほんの一部でしかない。誰にも見せない顔はかなり深く、そして重たくて、弱いのだ。それは友人や近所のうわさ話で動揺したり傷ついたりする。
ガラスのようにぴんと張り詰めたプライドと、外へ向かうおずおずとした不安、そして不器用に見せる家族への愛情といたわり、時には大人の存在を全否定してまっすぐ顔を上げようとする彼らのプライドは、大人の目から見たら青くて、まぶしい。

 最後、一年後の夏休みの描写に思わずほろりとしてしまいました。成長した少年の目からもう一度去年の夏を振り返ってみれば、未熟なりに一生懸命でまぶしくて。 長いようで短い夏。だけど、子供たちの夏ってこんなに濃かったんだなあ、と改めて思ったのでした。
木の下で腕をぶんぶん振る人影に胸を熱くしながら本を閉じました。