『サラサーテの盤』 内田百閒

不思議で趣のある世界。
皮肉っぽいのだけれど、この独特の雰囲気、好きです。
中篇短篇あわせて16.

中でもすきなのが表題作「サラサーテの盤
友人の死後、彼の遺品をなにかしら毎日「わたし」のもとに取りに来る未亡人がなんとも不気味で怖い。
きわめて平和な日常的な風景のなかに、幻想的で狂気をはらんだ何かが、ちらっと現れるのが、怖いのだ。
彼女が探している「サラサーテの盤」を蓄音機に掛けると…不思議な感じと切なさが重なって、突然ふっと終わるその終わり方もいい。

異次元の東京をさまよっているような気にさせてくれる「東京日記」は、ちょっと稲垣足穂に似ているような気がする。
昭和十年十二、三年…そのころの風景に、別の次元の似て非なる風景をはさみこんだり、こっそり摩り替えたりしたような、さまざまな、ありそうで実は決してありえない風景を細切れで見せてもらった。不思議な世界にワープしたような感じ。

それから、「とおぼえ」、ぞくりと怖いのだけれど、なんとも奇妙におかしい感じ。

東海道刈谷駅」は死神に魅入られた検校の話。うそ寒いながら、この静けさやしっとりとした雰囲気は、怖いより、不思議な余韻を感じる。

「南山寿」、老いに向かい、余生をもてあました「先生」のざらりとした不安や焦燥感などを独特の雰囲気で描き出した物語。不快な読後感ではあるけれど、この感覚がそのまま「先生」の感じているまま、と言う気がして、人からは「泰然自若」などといわれながら、こんな気持ちですごす日々は嫌なものだなあと思う。

どの作品も、独特のとらえどころのない思いを、ちょっと皮肉まじりに描写したものだけど、それをそのまま書いたらものすごく散文的なものになってしまったに違いない。 そこに、動物や幽霊、死神魔物などの姿を借りて、美しい文章で描き出して見せてくれる。とらえどころのないはずの感情が、視覚的に見えるような気がしてくる。それは不思議な感覚。
一度に全部まとめて読むと食あたりを起こしそうな感じ。あまりにも贅沢な珍味。少しずつ少しずつゆっくりがいいな。