『影の王』   スーザン・クーパー

高校生のとき、学校ので「真夏の夜の夢」を観たのだけれど、さっぱり良さがわからなかった。
その後、何度かシェイクスピアを読むことに挑戦したにはしたが、すべて途中で挫折。ラムによって書かれた子供向けのシェイクスピア物語さえもダメでした… だけど、この本を読みながら痛切に感じたのは「シェイクスピアを知っていたらなあ!」でした。
シェイクスピアを読んでみたい、とすごく思いました。特に「あらし」を!
スーザン・クーパーの描き出すシェイクスピアが素晴らしくて、とても身近に感じたせいもあり、ぜひ、もう一度シェイクスピアに挑戦してみたいと思いました。

何よりもナット少年が、タイムトリップ先の16世紀のグローブ座でシェイクスピアとともに演じた「真夏の夜の夢」の舞台が素晴らしくて、目に見えるようでした。この場面だけ何度も読み返したいくらいです。
たとえば、観客の中から「その人じゃないよ!」と声がかかるときのパック(あくまでもナットではなく)のアドリブが大好き。
そして、特に最後のパックの口上。ろうそくを掲げて、緑の衣装に身を包んだナットが観衆を見渡しながら口上をのべるシーンは、ほんとうにこの目で舞台を見ているようでした。すらりとのびやかな肢体の妖精の姿がくっきりと目に焼きついている。
たぶんこれ限り。ナットはこれ限りで(このあとどういう展開になるかはともかく)二度とこの舞台に立つことも、シェイクスピアに会うこともないのだ、ということが予想されて、それだから、余計にこの舞台の成功が印象的なのかもしれない。

ナットの演劇への情熱がひしひしと伝わってきて、(時代を超えてもなお、演じることの歓びに全てを忘れていたり)、夢中になれるものをもった才能ある若者の輝きに、惹かれていました。
そして、父への思慕と深い過去の傷を癒すその過程…ナットの心の動きはとても丁寧に描かれていて共感できました。さまざまな「父」に出会うことによって癒される、その過程の描き方も好きです。
(最後のシェイクスピアの究極のプレゼントは、演劇好きじゃなくても羨ましい、と思う。)

わからないことがいくつかあった。
シェイクスピアと、エセックス伯爵の事件(???)ってどんな関係があったのでしょうか。アトリーの「時の旅人」のことをちらっと思い出し、これからこの劇団の人たちは何か悲劇的な影響を受けるのではないかと心配してハラハラしてしまいました。
あの「ヘンリー五世」でのシェイクスピアの口上と、女王様の御前での「真夏の夜の夢」の劇中劇(?)での女王そっくりの扮装は、どういう意味があるのかさっぱりわからないのですが。
これはわたしが歴史を知らないから?…まあいいや、とあきらめていますが。

ナットが過去に飛ばされたとき、とまどいはしたものの、演劇の世界ゆえにすーっとその世界になじんでいったのはなんとなく理解できるのですが、
現代にもどってからレイチェルとギルが、ナットの話をあまりにもすんなりと受け入れるところはちょっと無理がありそうです。…普通そんなに簡単に信じないでしょう!

それからアーチーって何者?
作者はこれ以上説明してくれるつもりはなさそうなので、こちらで勝手に推測するしかないのですが…
現代人のナットが16世紀に、その時代の人々よりずっといろいろな事を知っていたけれど、それを隠していた(それでもちらちらとあふれ出て、魔術のように怖れられていた)のと同じような立場なのかな。現代のアーチーは。
アーチー何者でしょうねえーと想像するのを楽しむことにします。

ところで、このタイムトリップ(?)はなぜおこったのか。
その理由を知ったとき「あっ」と声をあげそうになった。…ほんとうに壮大な物語だったんだ。
だから、やはりシェイクスピアを読まなくては、と思う。本当は舞台が観たいけど、せめて、本を読みたい。

とにかくおもしろくて、後半は一気読みでした。(夕飯の支度が大幅に遅れて、悲惨なメニューになりました)