『昨日 』  アゴタ・クリストフ 

この物語は、「悪童日記」の第4部ではないそうだけれど、主人公トビアスは、リュカによく似ているような気がする。
リュカに似ているのではなくて、トビアスもリュカも作者に似ている、ということなのか。
どうしても「悪童日記」三部作のイメージから離れられなくて、この物語もその延長としてとらえてしまう。…すでに悪童日記で語りつくされたことをまた蒸し返しているような気がしなくもない。

リアリティがある、と感じたのは最後のページの数行だけだった。
ここに至るまでの160ページほどの文章はいったいなんだったのか。
現実にあったことなのか、主人公の夢だったのか。そもそもリーヌなんて女性は本当に存在したのか、彼の幼少の頃の物語は本当に語られたとおりのものだったのか。

ほとんど幻想の世界のように思える。そのなか、確かだと感じるのは、過酷な現実。主人公の孤独、どうしようもない絶望。
「愛」を口にしながらも、愛なんかどこにも存在しない。
それでも彼は愛していたのだろうか。誰を? 自分を。リーヌに映した自分自身を。愛しつつ、憎んでいた。
そして、彼の弾くピアノのせいで死んで行く鳥や彼にピアノを弾くように強制する虎もまた彼自身だったのか。
あまりにも脈絡のない様々な幻影が寄り集まって彼というものができあがったのではないか。

最後には彼にとって唯一の真実だったかもしれない「書くこと」までやめてしまう。「書くこと」が夢であり、彼の武器でもあったはず。灰色の絶望の世界で、ただ、生きている。
苦々しいが、…少なくても苦しみはない。いや、苦しみさえない、ということなのだろうか。
ただ、子供につけられた名前リーヌとトビアスだけに、ほんのわずかな明るみを感じるのだけれど。
大切にすることと残酷な仕打ちをすることは彼にとって同じ意味があるようだ。所有することと破壊することも同じ意味があるようだ。
だとしたら、絶望も希望も、彼には同じ意味になるのかもしれない。