『クリスピン』  アヴィ

1377年、イングランドはフランスとの百年戦争の最中。農民は荘園領主の悪政に苦しんでいた。
ストロームフィールド村(ファー二バル卿の荘園)の13歳になる少年は、たった一人の母親を亡くして、ひとりぼっち。
彼は名もなく「アスタ(母の名)の息子」と呼ばれていた。
母の死んだ夜、荘園の執事エイクリフが森の中で何者かと会っているところを偶然見てしまった少年は、泥棒の濡れ衣を着せられて、執拗に追われることになる。捕まったら縛り首。
村人達からなぜかつまはじきにされていたアスタ親子だったが、ただひとりの味方で少年の本当の素性を知る神父も殺された。少年の洗礼名はクリスピンであることを教え、母の形見の十字架を持って、とにかく逃げろ、村を離れろ、という言葉を残して。
やがて、クリスピンは熊と名乗る旅芸人に出会い、彼の奴隷となり、ともに旅をする。
クリスピンの出生の秘密はなにか。彼はなぜこれほど執拗に追われるのか。熊にも何か秘密がある。彼は何者なのか…

簡単に言えば少年の成長物語です。
卑屈に、人の目をまともに見ることも出来ずおどおどしていた少年、自分の頭でものを考えることなど思いも寄らなかった少年が、熊との出会いを通して、さまざまなことを学び、苦難を乗り越えて「自由」を手にする物語。
熊という人物がすごく魅力的だ。残酷で怒らせたら手がつけられないに違いないこの男が実は優しくて思慮深く、懐が大きい。知恵も腕力も相当なもの。
だけど、熊がなぜこれほどまでにクリスピンに入れ込むのか今ひとつわからないのだけれど。


ネタばれしてしまいますが…
クリスピンが勝ち取った自由は、魂の自由ともいうべきもの。
クリスピンの今までの生い立ちがあまりにも悲惨だったことなどと対極にある本物の「自由」の尊さが、輝くばかりで。
人が人らしく生きるために、どれほどに「自由」が不可欠なものであることか、と改めて考えてしまった。
エイクリフにさっさと差し出した十字架は、権力の放棄、財力の放棄、血筋の放棄…これは見事でした。つまり、彼の手に入れた「自由」はこういうものを上回るってことがちゃんとわかっているってことで、いや、しっかりした若者になったじないの、という気持ち。
この先の熊とクリスピンの旅の物語が読みたいよ、と楽しみになってしまう爽やかな幕引きもよい。

だけど、その一方で、不満も残ってしまう。大きなふま~ん。
だって、民衆は領主の悪政に苦しんでいるわけだ。このことは物語のなかにくり返しくり返し書かれている。
だから、熊たちの地下活動もあったわけで。
そして、それを改革できるキイを今クリスピンは手にもっているわけだ。
ファー二バル家の権力。それから母方の祖父ダグラス卿の力も借りられるはず。それから熊たち地下組織の活動家の協力。これらすべてをクリスピンは手に入れることが出来る立場にいるのだ。
それなのにすべてあっさりと手放してしまう。自分自身の「自由」のために。
じゃあ、ここまで書かれてきた領主の悪政のつけはどうするのか。地下組織の活動も宙に浮いたまま。なんだか今ひとつ納得できないでいる。
すごく面白く読んだのですけどね。

カバーの絵がすばらしいです。黒と金のコントラストと、少年の横顔、背景の象徴的なディテールの数々が美しくて、この本ほしくなってしまいました。