『文盲(アゴタ・クリストフ自伝)』 アゴタ・クリストフ 

自伝というには、なんとも短くて、あっと言う間に読み終えてしまう。だけど、内容は深い。
ただ事実だけを、一見ぶっきらぼうにならべたその文章。
ほとんど「寓話」のようにも見える。人々は名もなく、具体的な場所も書かれず…
その行間には言葉にならない言葉がいっぱいあるはずなのに。

ハンガリーの村に生まれ、9歳でオーストリア国境の村に引っ越す。
そのすぐあとにロシア(ソ連)に占領され、ロシア語を学ぶことを強制される。
1956年、ハンガリー動乱の折に、スイスに亡命。未知の言語フランス語のなかで暮らし、フランス語を話すこと、読むこと、書くことを学ぶ…

本好きな子供だった。ひたすらに読んでいた子供。やがて、成長の過程で、読むことから書くことに移行し始めたそのとき、いきなり言葉を奪われる。言葉を奪われ続け、母国語を持たない、その癒し難い過酷さを彼女は「文盲」という言葉に込めた。
自らに向かって「文盲」と呼びかける作者。その過酷な現実に言葉もない。

  >…わたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。
   別の理由もある。こちらのほうが深刻だ。
   すなわち、この言語が、
   わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。
                                 (p43)

  >もし自分の国を離れなかったら、
   わたしの人生はどんな人生になっていたのだろうか。
   もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。
   けれども、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。
   幸せでさえあったかもしれない。   (p63)

  >この言語を、わたしは自分で選んだのではない。
   たまたま、運命により、成り行きにより、
   この言語がわたしに課せられたのだ。
   フランス語で書くことを、わたしは引き受けざるを得ない。
   これは挑戦だと思う。
   そう、ひとりの文盲者の挑戦なのだ。   (p91)

作者はもう70歳を越えた。最近は書くことから遠ざかり、本を読む毎日なのだそうだ。 「悪童日記」を越えるものでなければ発表しない、と言っているそうだ。新作を発表することはなさそうだ。
無理もないかなあ、と想う。
悪童日記」――若い日に、あんなのを書いてしまえば、それをこえるものなんて、あるいは、それ以上に書くことなんてあるのだろうか。一生書けないのも不思議はないかもしれない。

*蛇足*
発表されてもされなくても、あと一つ、いつの日にかあと一つ書いて欲しい。それは、悪童日記の二人がいつの日にか一つになる物語。望んで離れていった二人が互いに望んで一緒になる物語。それは不可能なのかもしれない。だから余計にそう思う。どんな方法で、どんな形で…とんと見当がつかないけれど、もしそんな物語が彼女の中に生まれてくれたら、そのときが、「文盲」という言葉が彼女の語彙のなかから消える時…と勝手に想像している。それは永遠にこないのだろうか。