『イラクサ』  アリス・マンロー 

9つの短篇を収めた本です。
それは、
実家を捨てたい娘。痴呆症で施設にいる妻の(つれあいとの生活を忘れて施設内の老人への)恋心と、それをどうすることもできず見守る夫。たった一度の情事の思い出を抱いて長い結婚生活を遂行する妻。…そんな人たちが主人公。
そして、そこにある物語は――だけど、そんなこと、ここに書いたって意味がないのだ。物語の筋を追うことや、主人公の境遇を把握することはほとんど意味がないような気がする。

「ツボに嵌る」ってこんなことだったか、という思いを持ったのだった。
感動したとか、そういうのじゃなくて、読んで、ただ、ふーんと思うのだ。心地よく、ふーん、ふーん、と頷きながら、ずっと読んでいたい、と思うのだ。
こういう小説が好きか、と聞かれたらそれも「?」なんだけど、読み終わりたくない、と思う。

可もなく不可もなく、特別なドラマチックな事件もなく、物凄く不幸でも幸福でもなく…たぶんこんな人生は珍しくもない、語るほどのものでもない。
…そんな人生でさえ、複雑にさまざまなことがからみあい、もつれあい、相手により、いろいろな側面を見せたりする。
取るに足らない生活の片鱗の中に見え隠れする主人公たちの高いプライド。

ある感情が沸き起こる。そこに至るためのきっかけ。ほとんど誰も意識しないようなきっかけを巧みに描き出してくれたような気がして、あ、わかる、と思う。
そういうことを、きちんと文章にして表現できるものなのか。一瞬を永遠に保存する魔法のようなフレーズ。
醜かったり、美しかったり。たぶん、虫眼鏡で、ある人生の一瞬をじっと見たらこんなふうに見えるのではないかな、と言う感じ。
そして、それはどの部分、と具体的に言えないような…そして、これだけの細部をじっと描きながら決して深入りはしない。さらっと表面をなぜて通り過ぎるような感じ。 それが、いい。
ただ、わかる…読んでいることがうれしい、そんな感じで、ゆっくりゆっくり読んでいた。読み終わってしまったことが嘘みたい。