『塵よりよみがえり 』 レイ・ブラッドベリ 

雷鳴が「はじまれ!」と叫んで物語が始まる。――ああ、この始まりかただ。ああ、ブラッドベリだ。
なんて言ったらいいのだろう。この不思議な雰囲気。
ぞーっと不気味で、雰囲気があって、そこそこのちゃめっけとかわいらしさを秘めていて、どこかノスタルジックでなつかしくて、詩的で、ほどほどのロマンの香りがあって……なんといってもブラッドベリ的。

イリノイ州のある屋敷を舞台に、不思議な魔力を持つエリオット一族(というのだそうです)の物語の断片を集めた連作集。
というか、屋敷の始まりから滅びまでの物語であり、むしろ屋敷自体が主人公なのかもしれません。
ちょっと「火星年代記」の構成に似ているように思います。

ブラッドベリは80歳を越えている。この物語の始まりは彼が10歳の子供だった頃。
彼の祖父の家に集まった叔父叔母従兄達からかき集めた物語のかけらを彼のイマジネーションによって、五十年以上もの歳月をかけて熟成させたもの。
この豊穣。

ひいが千回もつくおばあちゃんが四千四百年の歴史と九億の死を見つめ続けてきた。彼女はファラオの娘で、ネフェルティティ(って誰でしょ)の母。
眠り続けつつ、世界中に心を飛ばす魅力的なセシーは、朗らかな魔女。少し怖くてチャーミング。
翼を持ったアイナーおじさんは磊落で豪放ですてきだ。ティモシー少年を抱えて空に舞い上がるシーンは圧巻。
そして、たったひとりだけ、「人間」のティモシー少年。死ぬことのない一族のなか、いずれ死ぬ運命にあるこの少年がとても愛しい。(「たんぽぽのお酒」のダグラスとちょっとだぶってしまうときがあります。全然ちがうんですけど) 彼は自分だけが一族のなかで異質なのを感じている。愛されているんだけど、それだけじゃだめなのです。どうしようもないから切ない。

ディズニーランドのホーンテッドマンションのような無責任なほがらかさが物語を引っ張っているような感じ。イリノイ州のある途方もない屋敷の中で。
でも、やがて、破局の時が来て…なんとも余韻のある寂しくて美しい結末へと進みます。(ああ、もっと読みたかった…)

急いで旅立つティモシーと「ひいが千回つくおばあちゃん」の会話がいいです。
「いまでもわたしたちのようになりたいか」とたずねるおばあちゃんに、ティモシーは考え考え答えるのです。

  >わかんない。ずっと考えてたんだ、ずっとみんなを見てきて、(中略)
   自分が生まれたのを知りたいし、
   自分が死ななくちゃいけないって事実を認めるしかないんだと思う。(中略)
   だから、みんなはしあわせなのかなって思うんだ。
   ぼくはとても悲しくなる。夜中に目が覚めて、泣くこともある。
   だって、みんなにはこれだけの時間、これだけの年月があるのに、
   そこから生まれるとってもしあわせなものがあまりないみたいだから。

だからなのかもしれない…この一族の陽気さ気高さ(?)無責任なまでの自由奔放さ、と裏腹に、彼らの存在が妙に寂しく感じるのは。永遠に生きる彼らなのに、その存在がなにか儚げに思えるのは。
おばあちゃんは、こんなふうに答えています。

  >その新しい叡智のなかでおまえの命を精一杯生き、
   あらゆる時間を楽しんで、これから何年も先に身を横たえることだ。
   自分が人生のあらゆる瞬間、あらゆる年を満たしてきたこと
   一族にこよなく愛されたことをさとって幸福な気分にひたることだ…

ああ、ほんと、もうちょっと読んでいたかったなあ、と感じさせるじんわりとしたラストでした。