『クアトロ・ラガッツィ――天正少年使節と世界帝国』 若桑みどり

500ページあまり、上下2段組。わたしにはかなり手ごわい本でしたが、読んでよかったです。
「クアトロ・ラガッツィ」とは、4人の少年、という意味。天正の四人の遣欧少年使節の物語ですが、
日本に渡来した船乗りアルメイダ(外科医であり豪商であった彼がイエズス会に入会し、資財を投げて日本に最初の西洋風病院を建てる)の物語に始まり、
日本国内では、戦国の世から織田、豊臣、徳川へと続く君主達の思惑と諸大名や庶民の生活、信仰、ひいては生き方。
世界情勢の中では、スペイン、ポルトガル中心の時代からイギリス、オランダの時代へ移り変わっていく中で、各国領主の思惑など・・・
こうした背景のなかで、4人の少年達は、国内で、また、世界の中でどのように扱われ(利用され)たのか。

三人の大名(大友宗麟大村純忠有馬晴信)の名代として、希望を胸にヨーロッパへ赴き、教皇グレゴリウス13世に謁見し、スペインのフェリペ二世、イタリア・フィレンツェトスカーナ大公の招きに応じた少年たちが帰国したとき、日本はどうなっていたのか。
彼らを待ち受けていた悲劇的な運命。
伊藤マンショは、病死。千々石ミゲルは棄教。原マルティーノは国外追放。中浦ジュリアンは殉教(拷問の果てに)
彼らは「浦島太郎」に過ぎなかったのだろうか・・・

若桑みどりさんは、さまざまな国内外の文献を紐解きながら、4人と、その時代を冷静に追っていく。そして後書きでこのように書く。「彼らが人間としてすがたを見せてくれるまで執拗に記録を読んだ」と。

日本のなかのキリスト教とその文化は消えた。(隠れキリシタンを残して)
だから「浦島太郎」に過ぎなかったのか、4人は。・・・そうではないのだ、と若桑さんの筆は説いてくれます。
日本史ってなんでしょう。日本だけの日本史なんてありえなかったのだ、と、のろまなわたしは、初めて知るのです。
日本は世界のなかにあった。この15世紀という時代に。世界のうねりのなかに日本もちゃんとあった。世界を形作る一部であった。
なんだかそのことに感動してしまった。
そして、そう思いつつ、最後まで読めば、青い空と海のなかを進む船の上で希望を胸に遠くを見つめる少年達の姿、そして、「少年達よ、勉強の時間だよ」に、胸がいっぱいになってしまうのでした。