きりのなかのサーカス

きりのなかのサーカス

きりのなかのサーカス


五月から七月まで、M市にサーカスが来ていました。
青と白のツートンカラーの大きなテントの上に、三角の黄色い旗がいくつもひるがえっていました。
あのテントの下で、空中ぶらんこが大きく揺れていたのでしょうか。赤い鼻のピエロがとんぼがえりをしていたのでしょうか。
行ったことないのに、サーカスっていうだけで、なんだかなつかしいような気がしてくるのはなぜかなあ。
やがて、あっというまにテントは消えてしまい、がらーんと広がった空き地に綱が張ってありました。今までも駐車場だったから、これからも駐車場なのでしょうね、この場所は。祭りはおわった、という感じです。

*****

ブルーノ・ムナーリというイタリアのデザイナーによる「きりのなかのサーカス」は、ふしぎな絵本です。

わたしたちは、霧の中を歩いてサーカスに向かいます。
霧の中からバスやオートバイなどが、音もなく、スローモーションのように近付いてきて、静かに去っていきます。
ぼんやりと後ろが透けてみえるトレーシングペーパーが重ねて使われています。この乳色に透けた紙のうしろのほうからぼんやりとバスや信号機、消火栓、オートバイなどがつぎつぎに現れるのです。本当に霧の中を歩いているみたいに。

 >さあ、サーカスを みにいこう
突然、トレーシングペーパーの霧が晴れます。赤、黄、青、緑、黒・・・たくさんの色(色のついた上質紙にモノクロで絵が描かれています)が光のようにくるくると現れます。あちこちにあいた大小の丸い穴はホルンの口になり、ピエロの顔になり、重量挙げのバーベルになり、照明になり・・・ああ、サーカスの楽しさ、にぎやかさ、おもしろさ、物悲しさ。

サーカスはおしまい。
おまつりのおわりはいつも静か。
わたしたちはトレーシングペーパーの霧の中、公園をゆっくり歩いて帰る。霧の中からゆっくりとあらわれる草木、標識、鳥を眺めながら。

まるで、無声映画のよう。
人の視覚をとても意識した本ではないかな。ただ、「視覚」の定義が違うのだ。従来の絵本の平面的な視覚を飛び越えて、別の方面の視覚に訴えようとする本。といって仕掛け絵本という括りでもなく。
そして、各ページに小さく書かれた短い文もまた、ページを構成する絵と同格。デザインの一部になっているような気がします。
・・・美しい・・・

わたしたち、霧のなかを通ってどこに行っていたんだろうね。
霧ってなんだろ。この世とどこか別の世の境界ではなかったか。
不可思議な世界で、しばし夢に酔う。そして、霧を抜けて、静かに帰って来るのかもしれない。ひとときの夢を心に満たして。