アマガエルとくらす

アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)

アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)


三年間、夏ごとに作者の家にやってきて洗面台に住み着いたアマガエル。このカエルとの出会いがアマガエルを飼うことになったきっかけだった。

知らなかったなあ、アマガエルが13年も生きるということ。
見たことないもの、アマガエルの脱皮のようす。まして、その脱いだ皮を食べてしまうなんて。

だけど・・・

この本のタイトルは「アマガエルを飼う」ではなくて「アマガエルとくらす」
それは、餌である生きたままのハエやクモを常時提供することとか、
水槽の土や水、植物をマメに換えてやることとか、
その生体を常時観察することとか、
・・・そういうことを超えて、(遠く超えて)
たとえば、年をとり目が見えなくなったカエルに「目のかわりくらい、いくらでもしてあげるから、がんばるんだよ」と思わず声をかけてしまうこと。

作者はそれこそ淡々と起こった事を書き綴っていきます。
その文章の行間から、アマガエルへの思いとそれが一方通行の片思いではないことが伝わってくるのです。
作者夫妻とアマガエルたちとの情の通いあった共同生活は、ときには、不思議な奇跡を呼び起こしたりもする。
突然の寒波に、からだが紫色になり、がちがちにこおりついてしまったカエルを手のひらであたため、ひたすらお日様の光に当て続けたとき、やがて、その手のひらの上で息を吹き返すカエル・・・その生命力の強さにも感動しましたが、作者の思いの強さにも感動するのです。

片山健さんの絵です。
アマガエルの冷たく湿った皮膚の感触がこちらの手のひらに伝わってくるようです。
その健康状態や歳など、個体によって微妙な色と表情を描き分けています。
このカエルたちはいきいきと画面のなかで躍動し、喉をふくらまして鳴くのです。迫力を感じます。なのに、かわいいんです。かわいくてねえ、手のひらにすくい上げたくなるんですよ。
まめまめしく世話する作者やその夫の姿が割と控え目に描かれているように思います。充分にその気持ちを伝えながら、強い主張を感じさせないのは、文章の意図にぴったりあっているようで、いいな、と思いました。

手の中に軽くにぎってしまえるほどに小さな生き物。あちらこちら、どこにでもいる小さな生き物。よく知っているような気がして、ちらっと見たら「なあんだ、こいつか」とやりすごしてしまうような小さな生き物。
生き物とともに暮らす。それはいったいどういうことなのか。
生き物と暮らすことで、わたしたちの何が変わっていくのか。
押し付けがましい言葉はひとつもないのに、考えてしまうのです。

この本を読みながら、作者の「わたしといっしょに暮らしてくれてありがとう」が伝わってきました。
一緒に暮らすって、互いが互いに感謝できる関係なのかもしれない、とおもいました。

今日も、我が家の庭ではアマガエルが大合唱です。