『 沼地のある森を抜けて』  梨木香歩

難解な本、と覚悟して読んだのですが・・・やはり、わからないところがいっぱい残りました。受け付けたくないところもあったりして。これは再読したり、時間がたったりしたら、また変わってくるのかもしれないです。(評価の星三つは、そういう意味。) 感想を書くのは、もう少しあとのほうが良いのかもしれないのですが、とりあえず初読後の気持ちを残しておきたいと思います。

「『からくりからくさ』に連なる、命のものがたり」とのことですが、
「からくりからくさ」は、祖と自分の関わりについて、主に心、魂の物語であったのに対して、この本は、細胞の世界から生命の連鎖を考えようとしている。物語も登場人物も、ちょっとありえないくらい現実離れして個性的なのですが、実は、かなり理屈っぽい話です。
「からくりからくさ」よりもむしろ「ぐるりのこと」に近い、と感じました。(自己と他者、境界のことなど)

とにかく荒唐無稽な話で、はっきり言って気味悪い、あるいは、諧謔な感じ。でも、文章のテンポがいいやら、主人公(語り手)の物言いが気持ちいいやら、「これ、どこに収まりがつくのか、あれとこれはどんな関係があるのか」と夢中で読んでしまいました。
始まりはぬか床でした。それが、空間的にも時間的にも、まあ、あらゆる方面にぎゅんぎゅん広がっていく。最後はほとんど神話のような・・・壮大な物語でした。広くて深い。

「壁(ウォール)を壊す」という言葉。ここに、こうして言葉にしてしまえばそれまでなんだけど、物語のなかにでてきた「壁」は重層です。
簡単なことではない。全身の細胞を奮い立たせなければならない。これは、読むのも力がいるわ・・・

「自分って、しっかり、これが自分って、確信できる?」これも、ここだけ抜き出してしまえば大したことない。だけど、作中、「フリオ」という人物の言葉で語られ、その後にこれが出てきたときは、衝撃的であった。答えられるか?「できるよ」って。

ぬか床に始まる物語が縦糸だとしたら、細胞やら菌やらの話が横糸か。さらに、この世と微妙にリンクしている不思議な異世界「シマ」が布の裏地のように広がっている。これが「命」を描く仕掛け。この重奏感。

しかし、正直、この神話的世界のクライマックスにわたしはイマイチ乗れない。久美さんと風野さんが迎えた夜の描き方が気に入らない。なんというか、精神的すぎるっていうか、浄化しすぎてるっていうか・・・いや、違う。美しい言葉を駆使して壮大な世界のなかで荘厳な雰囲気に仕上げている・・・なのに、本当は理詰めなのです。
恋愛が理屈のうえにある。
いや、最初から理詰めだったわけだから、これはこれでいいんです。でも、ここに乗れないのは、わたしが悪いのです。
感情だけで久美さんについてきた。薀蓄に対しては「あっそう、ふむふむ、そうかい」と言いつつ、流してきたのだなあ。
それだから、消化不良になってしまった。

ここまできて、結局は「滅び」とみせかけて、しっかり遺伝子を残しているわけ。このしたたかさ。大きな深い孤独が前提だから、これが感動を誘う。と同時に怖れも感じてしまう。
難解ではあるけれど、しいて言えばこれが一番しっくり来る言葉、かな? 終わりの方の風野さんの言葉。
  >個というものが自分の行動を全て自分の意思決定によって行われる
   という考えがそもそも眉唾ものだと?
   ・・・・・・
   自己決定、ということが幻ならば、
   せめて、自ら、自分はこの「何か」に乗っ取られてもかまわない、
   そう決断することが、最後に残された「自己決定」なのではないか、と。

思えば、「西の魔女が死んだ」に始まって、梨木さんの作品はずーっと一本の線の上にあるのではないか、
「命の連鎖」という・・・
梨木さんは奥へ奥へ、より奥へと突き詰め、進もうとしているような気がします。
これからどこにいくのかなあ。この物語を読み解かなければ、わたしもちゃんとついていけないような気がする。
難解な物語です。再読、再々読が必要な本、と思いました。