『プー横丁にたった家 』 A・A・ミルン 

  >クリストファー・ロビンは、いってしまうのです。
    なぜいってしまうのか、それを知っている者はありません。
    なぜじぶんが、
   クリストファー・ロビンのいってしまうことを知っているのか、
   それを知るものさえ、だれもいないのです。

この本の最後の章で、こうしてクリストファー・ロビンは突然に「魔法の森」を去っていきます。永遠に。
この章はなんの前触れもなく、唐突にやってくるのです。
いつも、ここで戸惑ってしまいます。そして、なんだかしんみりと悲しくなってしまいます。

クマのプーさん」は、子供の本として素晴らしいのはもちろん、大人にもすごくたくさんの示唆を与えてくれるように思います。再々々々々・・・読して決して飽きないどころかますますプーの魅力に嵌っていくばかりです。
もちろん楽しく読めて、ほら、あのプーの作る歌は、いつのまにか全文暗記していたり。
そして、くすっと笑い、ほーっと安心の世界に包まれながらも、ときどきハッとしたりするのです。
たとえば、こんなくだりにドキッとしたりして。

  >「ウサギは、りこうだな。」プーはかんがえこみながらいいました。
    「ああ。」と、コブタがいいました。「りこうだ。」
    「そして、頭がいい。」
    「ああ。」と、コブタがいいました。「頭がいい。」
    それから、ふたりは、ながいことだまっていました。が、やがて、
    「それだからなんだね。」とプーがいいました。
    「あのひとが、なんにもわからないのは。」

でも、やはり、気になるのはこの本のなかから急に去っていったクリストファー・ロビンのこと。
この本は、おとうさんであるA・A・ミルンが小さな息子のために書いた本でした。(そして、息子が大きくなってしまったあとは、どのように請われても子供の本は一切書かなかったそうです。)
息子のために書いた本でしたが、あまりにも有名になってしまったこの本のなかから、息子を助け出してやる必要があったのではないでしょうか。
幼い息子はいつまでも幼いままではないlから。どうしてもこの魔法の森から成長していく息子を出さなければならない。
お話のなかに息子を入れたのもおとうさんの愛情なら、息子を出したのもおとうさんの愛情ではないでしょうか。

でも、それはあまり役にはたたなかったみたいです。「クマのプーさん」はあまりにも有名になり、作者の意にさえも染まらなくなっていたのかもしれません。
クリストファー・ミルン氏は、「クリストファー・ロビン」と呼ばれることを嫌ったそうです。「クマのプーさん」のクリストファー・ロビンというイメージにずーっと煩わされたようです。

だけど、私は、この寂しい最後の章を含めて、「プー」が好きです。「本の中の」クリストファー・ロビンは、みんなの知らない理由で、静かに森を去っていったらいいと思います。そして、どこかだれも知らない場所にプーといっしょに今もいたらいいと思います。 実在のクリストファー・ミルン氏に関わることなく、本のなかの子供のままのクリストファー・ロビンが。