『夏の丘、石のことば』  ケヴィン・ヘンクス 

丘の上には大きなニセアカシアの木。そして、この丘のこちら側と向こう側にブレイズとジョゼルがいた。

10歳のブレイズは5歳の時お母さんに死なれている。その後、火事にあってずっと残るやけどのあとが足にある。ふたつのできごとは、ブレイズの心に深い傷を残し、そのため、克服できないたくさんの「怖さ」を身内に抱え、苦しんでいた。

ジョゼルは、おばあちゃんの家に預けられた。母は離婚後つぎつぎに新しいボーイフレンドを作り、ボーイフレンドができるたびにジョゼルを疎ましがったため。
ジョゼルはこの悲しみを克服するために、誰か自分よりうんと不幸な子がいたらいいと思う。
そして、ブレイズを、秘密のうちに深く傷つけます。

やがて、丘の上、ニセアカシアの木の下でこの二人は出会います。夏休みのできごと。
二人はただもう無邪気にひたすら遊ぶのです。
ブレイズは自分の怖れや傷を身内に秘めたまま。
ジョゼルは自分のしたことをたくさんの嘘で隠したまま。
それはそれは素晴らしい夏でした。
本当に遊ぶ姿がまぶしくて、すばらしいのです。

二人が傷を癒していく。その過程の丁寧さ。ふたりがあまりにもけなげで、傷ついても傷つけていても、二人とも愛しくて、涙が出そうになってしまう。
二人が傷を癒していく。傷を洗いざらいさらすことなく。自分の傷に面と向かうことなく。・・・特別なことは何もしません。
ただただ夏の日を幸福なたわいのない遊び(でも凄くおもしろそう)で過ごすのです。
(最初の方で、ブレイズが精神科の先生の診察を受けていた頃のことを思い出している。)
 子供はひたすら遊び、遊び、遊びまくることで、傷を癒し、それぞれに成長していく。
いつしか二人はお互いになくてはならない存在になっていました。

でも、作者はそれで終わらせません。
ジョゼルの嘘がばれるときがくるのです。
されたこと、してしまったことで、お互いに深く傷つき、別れていくのです。そして・・・

二人ともそれぞれに深く傷つき苦しみますが、実際、自分達がもともと持っていた「囚われ」から解放されていることには気がついていないのですね。
気がつかないけど、やはり彼らは互いが出会う前の二人じゃなかったんだと思います。だから、次の展開があった。大きな一歩があったんだろうと思います。

いい子ですよ、二人とも。ほんとにほんとにいい子なんです。
子供が子どもらしくいられることの巣晴らしさ、大切さ。ぎゅうっと濃縮したような密度の濃い時間。それをこんなにも大切に大切に、丁寧に丁寧に描くききっていることに感動しないではいられないのです。

最後。始まりを意味するシーン、一体これからどのようにしてふたりは会うのだろう、と楽しみに想像をめぐらせることのできるラストがすばらしく、感動が胸の奥からわきあがってきました。