『ガンビア滞在記』 庄野潤三

ロックフェラー財団によって一年間の米国留学の機会を与えられた庄野潤三氏は、「出来るだけ田舎の小さな町に行って、その町の住民の一員のようにして暮すことが出来たら」と希望する。
オハイオ州ガンビア。人口六百、戸数200。ケニオンカレッジによって始められ、カレッジと町が溶け合った町。
昭和32年秋から翌年の夏までの一年間、妻とともに滞在した記録。

静かな田舎町。2軒しかない食料品店。床屋。大衆食堂。小さな郵便局や銀行。和やかなご挨拶と雑談。(でもときどきよくわからない言葉・・・)
食事やお茶に呼ばれたり、車に乗せて隣の少しだけ大きな町まで買い物に連れて行ってくれるご近所さんたち。
特にインド出身で政治学を教えているミノーとその妻ジューンとは、深い交流が始まる。
大学対抗のフットボールラクロスに興奮したり、ハロウィーンに来た子供たちにあげるお菓子を用意していなくて四苦八苦してみたり・・・
でも、大抵の日々は穏やかに・・・巡り来る友人たちの幸運や不運を喜び悲しみ、助け合い・・・留学前に願ったように住民の一人として暮らした一年。
それは、「大学の町」であり、特殊な環境ゆえに成立するものもあったのかもしれないけれど・・・
感じるのは、「外国で暮す」という特殊な事柄ではなくて、ささやかな暮らしの中のささやかな歓び。生きてここにいることの本当にささやかで静かな歓びでした。

やがて、一年がめぐり、大学は長い休みに入ります。
去っていく卒業生達。
ミノーは別の大学に職を得て引っ越していった。
ご近所さんは長い旅行に出かけた。
ガンビアでの最後の一週間を庄野夫妻は静かに過ごす。家の前の潅木の茂みの小鳥の巣にひな鳥が生まれた。
それだけで終わるこの滞在記はゆったりとした静かな物語を読み終えたような充実感がありました。