『かかし』 ロバート・ウェストール 

学校の寄宿舎で生活する13歳のサイモンは、夏休み、ママの再婚相手のジョーの家で暮らす羽目になる。
小さいときに亡くなったパパは軍人でかっこよかった。パパを今でも愛し尊敬しているサイモンは、パパとは正反対のジョーを受け入れられない。
また、ママが自分の母でありパパの妻である、、という以外の選択をしたことを裏切りと感じている。
家族の中で孤立していくサイモンの孤独さ、閉塞感、そしてくすぶる怒りが憎悪に変わっていく。
そのサイモンの憎悪に答えるかのように、過去忌まわしい事件のあった水車小屋で邪悪なものが目をさます。それは「かかし」の姿になって現れる。そして、じわりじわりととサイモンたちの家に近付いてくる・・・

ずっしりと手ごたえのある、こわい本でした。
決して血なまぐさい事件がおこるわけではないです。何が怖いかと言えば・・・たぶん、これは、13歳の少年の心の物語。このなんともいえない八方ふさがりの孤独と、そこから来る憎しみに囚われていくのがこわいのです。

サイモンを除く家族(ママ、ジョー、妹のジェーン)が温かくこの新しい家族のなかで、(とりわけママが)満ちたりて幸福を感じれば感じるほどに、孤立し、憎悪をかきたてていく13歳のサイモン。
かかしは、サイモンの憎しみを形にしたにすぎません。

自分の心を憎しみで満たし、復讐心に解放し、自分で呼び込んだ「かかし」に、自分自身恐れながら身をまかせるサイモン。
そして、たぶん、このままだったら、サイモン自身もまた最後にはこの憎しみに食い殺されるにちがいないと予想し、どきどきしながら、こわくても途中で読むのをやめるわけにはいきませんでした。

自分のなかの悪魔に恐れをなして、サイモンはかかしを引き抜いて倒す。
しかし、倒しても倒しても起き上がって、ゆっくりと近付いてくるかかし。
このかかしを消滅させるためには、新しい家族をそのままに受け入れる以外にないはずなのは、わたしたちにもわかる。
それがサイモンにはできない。たぶんわかっているはずなのに、できない。
ジョーが本当はいいやつだ、とわかっていてもできない。

最後のほうでやってきたサイモンの友だちのトリノ。訳者もあとがきで書かれていましたが、わたしも、この少年の登場に「え?」と思いました。彼がこの物語で果たす役割が今ひとつ理解できなくて。
訳者は、このように言います。
 >おそらくウェストールは、心からの祈りと希望をこめて、
  この少年を想像したのだろう。
なるほど・・・
だとしたら、この少年をこの場に招いたのがママだった、ということも意味があるように思える。
息子の暗い情念に恐れをなし、避けて逃げようとしていたママだった、ということが。

最後に、サイモンの顔をのぞきこんだ人々の言葉が、風のようにさわやかで、なにもかも終わったあとの静けさのなかで、感動を運んできてくれました。
これで感情の摩擦のなにもかもが消える、と思うほどおめでたくはないけれど、大げさな感動ではなく、「ジョーにだって生きる権利はあったんだ」という、ささやかな言葉だけで語られたことが、かえって、真実らしく聞こえたし、ほっとしました。