『たんぽぽのお酒』レイ・ブラッドベリ

夏の初めに、おじいちゃんは、12歳のダグと10歳のトムに指揮して、たんぽぽの花を摘み取る。そして、お酒に漬けこんで、たんぽぽの黄金のお酒を仕込むのだ。
これを賞味するのは冬。きらきらした黄金の夏の輝きを真冬に少しずつ味わうため。12歳のダグの黄金の夏、たった一度きりの、二度とは戻ってこない夏を味わうため。

これは、イリノイ州の小さないなが町の、1928年の夏。この町に住む12歳のダグラスを中心にして、町のさまざまな夏のひとときを切り取って、脈絡もなくならべていったような物語。黄金のお酒をちょっぴりずつ味わうように。

それは、新しいテニスシューズが、夏の最初の日の地面をぽーんとけりあげるように始まる夏。

おじいちゃんが芝を刈る苦労をなくしてあげようと、ある青年が手に入れた芝生の苗。ある長さになったらもう伸びない、新種の芝生。 ところがおじいちゃんは・・・
そうだった。芝刈りのときに立ち上る草の青い匂い。ああ、わたしも大好きだ。それこそ夏の匂い。芝刈りをしないで済ますことになったら、あの匂いを嗅ぐことも、もうない。

すっかり暗くなった夜の闇のなか、息子がなかなか帰らない。闇に潜む不安。ゆっくり歩きながら、少しだけ声をあげるお母さん。「ダグ…ダグラス」

30歳の青年と78歳の女性のロマンス――と書いてしまえば、あまりにも実もフタもない。この清涼で静かな、そして神秘的でさえあるひとときをなんと呼んだらいい?

原因不明の熱が下がらず、眠り続ける(失意の)少年の枕元に、運ばれた薬の瓶のラvベルは「夢を見るための緑の黄昏印、純粋な北方の空気」・・・成分はすごいぞ。長すぎて、引用できないや。
これも大好きな場面。こんな魔法の薬を大切なだれかのために調合することはそれほとむずかしくはないのだろう。瑞々しい感性を失いさえしなければ。ただ、その感性が、わたしのなかに残っているのかどうか・・・

タイムマシン、フリーリー大佐。なんと性能の良いタイムマシーン。そして、その死
老人達の深く瑞々しい感性。憧れ。そして、現在だけを生きようとする若者達の残酷さ。

闇にひそむ恐怖。いくつかの死・・・
別れ――駆け去ってく少年の足音。
まだまだ、味わいつくせぬほどのたくさんの夏。
ああぁ、とても私には書けない。この切ないくらいに美しく郷愁に満ちた、そして、微妙にゆれる光。魔法。魔法!

これらが、古いトマトケチャップのびんのなか、たんぽぽといっしょにきらきらとお酒の中に封入されて、番号をつけられて、スポールディング家の地下の棚に並んでいるのです。

この本のままに、たんぽぽのお酒を本当に作った友人がいるのですが、まったくおいしくはなかったそうです。何か特別の作り方があるのか・・・いえいえ、そうではないのかもしれません。
ブラッドベリの魔法がなければ、どんなふうに作ってもおいしくなんかないのかもしれないです。
この町に夏、おこったことも、知らずに通りかかったら、どうってことのない風景でしかないのかもしれないのです。「暑いねえ」と、他の季節に「寒いねえ」「よく降るねえ」と言いながら通り過ぎるように、何の特別な感じもなく、夏を通り過ぎていく事だってできたのかもしれません。
でも、ブラッドベリの魔法のお酒をほんのひとくち、いえ、ちょっと香りをかいだだけで、たちまち、見えなかったもの、聞こえなかったもの、感じなかったもの、に気付くことになるのかもしれません。

この本を初めて読んだのは30年前でした。
きっと何度も何度もくり返し再読することになるだろう、と思いながら本棚に収め、ひっこしのたびに、ちゃんと新しい部屋の本棚にいれたのに、ついに、この30年、一度も読み返すことはなかったのでした。
すっかり黄ばんで、湿気を吸ったページは、波打っていました。
でも、そのページのあいだから、若かった自分の憧れや、歓びなどが、その頃の苦さといっしょに蘇ってきました。
ああ、本当に、なんということ。すっかり大人になっていました。見てくれだけは。
このまま、また30年眠らせることなく、時々はこの本のページを開いてみたいものだと思いました。たんぽぽのお酒のなかの黄金の夏をちびちびと味わうように。