『りかさん』  梨木香歩

「からくりからくさ」を読み始めましたら、容子の「さ、りかさん、起きて」という言葉に出会い、さらに、容子が三人の女性に「りかさん」との出会いのお話をしているところで、
「あらら、これは、やはり、『りかさん』を先に読んだ方がよさそうね」ということで、中断、この本を読み始めました。
(ところが、後で知ってみたら、世にでたのは「からくりからくさ」の方が先だったのですね。)


人形は、人間とともに暮らし、人間の悲喜こもごもをその時の記憶とともに引き受けて、どこまでが人間の物なのか、人形のものなのか、その境界さえあいまいになってしまっている。
ああ、人間の業の深さよ、と思わずにはいられないではないか。
そんなふうに思いながら、読めば、なんだか人形がこわくなってくる。
「りかさん」は、代々の持ち主に大切に慈しまれた類まれな性格のいいお人形だけれど、そうではないお人形もいるわけですよね。「ウラりかさん」の話とかありそうで、そうなったら、かなり怖いのではないか、とちょっと考えたりした。

養子冠も、アビゲイルも過去のしこりをひきずって今に至った。
養子冠の男雛の冠の話は、妙におかしい。お行儀良く居住まい正してはいるが、過去現在に関わらずそのようにして社会にある人々への嗤いのようなものを感じてしまう。
アビゲイルの話は、たしかにこれとそっくり同じ光景が嘗てあったのだ、と思うと、その狂気にやりきれなくなる。

こうしたしこりのようなものを身のうちにしまいこんで、ただしまいこんでそこにいるしかなかったものいえぬ人形たちの思いを、今、ようこが、りかさんの助言を聞きながら掬いとってやることで解消されていく。
人形達の篭った思いがさーっ水に溶けるように消えていったあとに吹く風のなんという気持ちよさ。すがすがしさ。
と同時に、人形のおもいは、ようこに受け継がれたともいえるのではないか。
さて、こうして、育ったようこが、「からくりからくさ」のなかで、どのように花開いていくのかな、というところで、「からくりからくさ」のページに戻りたいと思います。