『しずかに流れるみどりの川』 ユベール・マンガレリ 

以前読んだ「おわりの雪」とは完全に別の物語のはずなのに、主人公の少年が重なっていくような感じでした。
少年と父の、過去にも未来にも続く、ある日々を掬い取ったような物語。ストーリーは、あってないようなもの。
閉塞した世界。
孤独な少年。
その少年をめぐる環境も、少年の心の中も、(ほとんど一切の説明がないのに、こんなに簡潔な文章なのに、)まるで、微風ようなそよぎや、静けさのなかで感じるわずかな遠い音、ほんのりとした淡い光…そしてそれらの強弱がささやかに、微妙に変化していくのを、感じる。耳を澄ましていないと何も聞こえないかもしれないくらい静かな何かなんだと思う。
どうして、こんなふうに書けるのだろう。どうして、こんなふうに描写できるのだろう。

底辺で彼の父はあえいでいる。苦しんでいる。限りなく絶望に近い脱力。不器用な父。だけれど、素直に育った息子が彼の喜びなのだ、彼のすべてなのだ。
父親を敬慕し、いたわりながらも、かすかな違和感が息子にはある。 それは、どこの家庭でも、どのような親子にも必ずあるはずの摩擦でもあるのだろうけど。
だけど、これがストレートに描かれているわけではないのだ。読者は感じとるのだ。「なんとなく・・・」って。
この家族のさまざまな事情が書かれていないのも、「おわりの雪」と同じ。
そして、このふたりを繋ぐものが少年の想像力なのだ。
昔父さんが一度だけ捕まえたことがある、というマスの話からふくらんでいく少年の想像の物語は、ときに現実よりも現実感がある。
少年は歩くのだ。歩く、歩く。「不思議な草」の茂る草原に、自分で作った草のトンネルのなかをずっとずっと。
この雪原のようにしんとした世界で、彼は考えるのだ。自分の想像の世界を現実よりも現実的にするディテールを繰り返しくり返し。
「しずかに流れる緑の川」は彼のむねのうちを流れ続ける、想像の川。とうさんがマスを捕まえた川。いつか(想像の世界で)自分のものにする川。
この川がいつまでも深くみどりであれ、と願わずにいられない。

こんなに静かなのに、こんなに短い言葉のなかに、こんな透明な深みを見せてくれる人が他にいるでしょうか。
そして、この作品の透明感と静けさをそのままに日本語に置き換えてくれた訳もすばらしかったです。