とうさん、かあさん、12歳のラウラに10歳のヤーコプ。何を決めるにもひと騒動なしには前に進めないシルマー家がかなり好きだ。
母の父である最高に個性的なヨーンじいちゃんを呼んでいっしょに暮らすか暮らさないか決めるときも相当のすったもんだをやる。
いっしょに暮らす、と決めたら、心のこもった招待の手紙を書く。この手紙の書きかた(つまり心の込め方)にもすったもんだしないではいられないのですが、・・・とうとうヨーンじいちゃんがやってきた。
ヨーンじいちゃんは頑固者。どんなことでも自分の意見を通して、決して曲げない。
だけど、妙におかしくて、いつも真剣でまっすぐで、みんなを驚かせるのが大好きで、なんだか温かい。
いつのまにか家族の一員として溶け込み、ちいさな町の人気者になる。
>(アインシュタインの写真を見たヤーコプが)
「この人、どうして舌なんか出してるの、ヨーンじいちゃん?」
「んのっ、どうしてだと? 気持ちがええからさ。
この人は、ひとをからかえるんだ。ちっとな。
こういうことをする自由をちゃんともっとるんだ。わかったか?」
「そいで、どうしてこの写真をかけとくの?」
「わしに必要だからさ。このアインシュタインは、わしをたすけてくれる。
わしのかわりに舌をだしてくれとる。
わしはいくじがないから、だせんがの。わかったか?」
>「いやいや、婿どの、第一にじゃな、
子供もおまえらも、そもそもなんでクリスマスを祝うのか、
それは全く考えもせん。
第二に、子供らはいっぱいプレゼントをもらうから、
けっきょくなんにももらわんのとおんなじだ。
見てみろ、おまえの買うたもの!
あれもこれもといっぱいあつめとろうが。きちがいざたじゃよ!
しかし、ある日、元気だったヨーンじいちゃんは卒中で倒れて病院に運ばれる。
家には帰ってきたものの、衰えは隠せない。・・・やがて奇行が目立つようになる。
かいがいしく世話をしてくれる恋人を「わしのことをこそこそしらべとる。スパイじゃよ」と追い出す。
ヤーコプの前で、台所のガス栓を全部開いてまんぞくげにうなずいていたり、室温調節のサーモスタットを押し上げて部屋を蒸し風呂のようにしてしまったり。そのうえ持ち前の頑固さはいよいよ極まっていく。
寝たきりになり、ときどきしくじりベッドを汚すようになる。
・・・さらっと書いてあるけど、大変なことだ。
>チャッペル(子犬)がいちばん悲しそうだった。
それなのに、どんどん大きくなっていった。
認知症が進むことを意識しながら、在宅で介護を続ける。子供と老人が支えあおうとする。
それは、きれいごとではない。気楽に「理想だ」なんて、まして言えない。
それでも、この家族のありように共感してしまう。
「ヨーンじいちゃん」は、介護すべき老人ではなく、どんなになっても(耐え難い状態になっても)敬愛すべき「ヨーンじいちゃん」なのだ。
一年半、彼らは家族としてともに暮らした。その一年半築いてきたものの大きさ。彼らが見ていたのは、老いの醜さではなくて、敬愛する「ヨーンじいちゃん」だったのだ。
大切なものが壊れていくのを見続ける苦しみ、やがてすべてを失ってしまう恐れ。
当然、家族のなかには疲れも不満も出てくる。
完璧な介護なんてあるわけがない。
大切な一瞬一瞬をこんなふうに過ごすことができるものだろうか。
>ヨーンじいちゃんは、気持ちよさそうにいった。
「おまえらのとこは、ええなあ。」