『夜明けの人びと』  ヘンリー・トリース 

この物語の主人公「ゆうぐれ」(一名「まがり足」)が、サトクリフの「太陽の戦士」ドレムや、「ケルトの白馬」のルブリンを思い出させる。

不思議な物語。詩のようで、寓話のようで・・・
夜明けは、、人類の歴史の原初の意味。
おそらくは、何百年にも及ぶ月日をひとりの少年の目を通して、短縮してみせてくれたのではないか、という気がするのですが。

さまざまな人々が出てきた。
残酷な種族、平和を愛する種族、滅び行く種族・・・
戦ってばかりいるイヌ族やキツネ族よりも、一見平和そうな川族のほうが恐かったなあ。狡猾な感じで。
不思議に美しい調和を感じさせてくれたのが赤毛族だった。彼らが絵を描く人々だったことも調和と平和を感じさせる。あまりにも平和で、やさしくて、ああ、これは滅びるのだなあ。

主人公ゆうぐれは、絵を描く腕をもち、さまさまな種族に出会い別れながら旅をしていく。
彼は平和を愛し、理解しあいたいと望む。
彼の絵を描く才能は、魔法として恐れられたり、敬われたり・・・
理解しあいたいと言うことも、絵を描くということも、異端だった。そのために、つねに別れを経験しないではいられない。

そもそも、絵を描く、とはどういう意味なのか。これ、大きな夢なのじゃないかな。理解しあいたい、、ということも同様に大きな夢(希望、憧れ、願い)。
食うこと、生きながらえることに必死のなかで、夢を語ることができる、というのは偉大なことなんじゃないのかな。

最後に到達したあの「さく」のない村はどこなのだろうか。
ゆうぐれ(まがり足)が足を引きずらずに歩けるようになるということは、どういうことだろう。乳飲み子が乳をほしがって泣かずにすむ、ってどういうことだろう。
これは、現実の世界にある「どこか」ではないような気がするのだが、…自分の感覚に自信がありません。
  >これが、はじめはまったく黒かった物語におとずれた黄金色の終わりだった。

…逆に考えれば、黄金色の終わりに到達するためにはその途上に「黒い物語」が横たわっているのかもしれない。