『冥途』  内田百閒 (金井田英津子 画)  パロル舎

涼しくなる怖い話を読みたいと思いました。
それも、ちょっと情緒のある怖がらせ方をさせてくれる本に出会いたかった。

さて、内田百閒。表題作を含む短篇六つ。
夢をみているような、曖昧模糊とした世界。
しっとりとした日本の情緒を伝えながら、人間のずるさやおかしさをそのままに、物悲しいような、薄暗く湿り気のある不思議な世界にいざなってくれる。
葦原に悲しげに上がる花火、一膳飯屋のカンテラの明かり。雑木の叢に、焔を投げ散らしたように咲き連なる赤い花。
そして、類まれな表現。「私が婆の顔を見た時、婆の瞳が私の顔のまわりに散っていた。」「婆の瞳は小渦を巻いて、私の目を射た。」・・・
すっかり内田百閒の虜になってしまった。

気がついたのは、よく使われている舞台が土手。
この土手は、夢と現実のあいだに横たわる。または、正気と狂気のあいだに。あるいは生と死の。

物語のなかの「わたし」になって、土手の上に立てば、生と死のはざまにいる不安(容易に向こう側に引っ張り込まれそうな不安)に、神経が研ぎ澄まされていくような気がしてきます。
ぼーっとしたこの不可思議な世界にいると、自分は本当に目覚めているのか、眠っているのか、いや、そもそもこの生が夢なのかもしれない…と思えてくるのです。
ぞくっと背中をひとなぜして、線香花火のようにすっと消えてしまう物語。

好きなのは、表題作「冥途」…土手の腹に移るカンテラの影。
>「四五人の姿がうるんだ様に溶け合っていて・・・」
ああ、この光景はなんだかなつかしい。いつかの遠い昔、私は、出会ったことがあるのではないか、この光景に。

それから「件」という作品。人の顔にウシの体を持った「わたし」が「件(人偏に牛)」とは、しゃれのようなネーミングだけど、奇妙におかしくて怖ろしい物語。なんとまあ、人間の身勝手なことよ。おかしくて怖くて…やがて物悲しい。

そして、これら一連の作品は、人の心の奥深さをしまいこんで、しんしんと味わい深く横たわっている。
この人の他の作品をぜひ読んでみたいと思いました。

挿画がいい。物語の、少し怖くて、そこはかとなくおかしくて、夢なのか現実なのかわからない、薄暗い世界にぴったり。
装丁も凝っていて、豪華な本です。