『おわりの雪』 ユベール・マンガレリ

主人公の少年は両親と暮らしている。父は病気、死期を間近にして寝たきり。少年は養老院の老人の散歩の手伝いをして小遣いをもらう。このお金の半分と父の年金が、この家族の生活を支えている。
少年はトビ(鳥)が欲しくてお金を貯めている。

語られないたくさんの言葉が行間に埋もれているようです。
たとえば父はなぜ寝たきりになってしまったのか。この病気はいったいどういうものなのか。
毎晩夜中にそっと家を出て行く母。そのすすり泣き。厄介ごとを背負っているのだ、この家の、少年の目には見えない部分を支えようとしているのだとは思うけれど、それについては一切説明はされない。説明されないからこそ感じる奥行き。

この作品を支えているのは多くは「気配」なのだ、と思う。
風が吹こうとする直前の、水滴が落ちようとする直前の、そして、感情が芽生えようとする直前の気配。

父と子が過ごす多くの時間。
少年はトビがほしい、、と父に話す。そのトビはどんなトビか。ある漁師が捕らえたトビだ。少年は、猟師とトビの戦いの話を父にして聞かせる。これは少年の想像の物語です。
くり返し語られる物語は、父と子を繋ぐのです。そして、互いに相手を思い、こんなふうに心通わせ合う親子っていいな、と思うのです。
互いに相手を思いやり、その温かい交流に浸りながらも、でも、少年は、発作時の父を見るのがこわい、夜にそっと母が家を出て行く気配に心を痛め、養老院での出来事に傷ついていく。それでも、この静かな世界は決して壊れることはないのです。それは少年の心の静かさのようです。

いつまでも目の奥に残って消えないのは、犬とともに歩くあの雪の平原の情景。
真っ白な世界に残る犬と少年の足跡と、少年の足の痛み・・・
まぶしいくらいに冷たく静まり返って、悲しさも寂しさもせつなさも、説明のつかないもやもやも呑み込んでしまうような圧倒的なイメージを感じるのです。

この静かな冷たい世界で、唯一温かく、少年とわたしを温めてくれるのはトビの存在です。
動きのない平坦で冷たく研ぎ澄まされたこの作品のなかで、上昇していく温かな夢。

やがて、迎える父との最後の日々を照らすトビの大きな瞳。まるでこの家族を照らす灯のようでした。

少年から大人になる瞬間。子供の日々がおわりをつげるとき。
だれがみてもわかる大きな変化と自分だけが知っている小さなかけがえのないことの積み重ね。
大地が雪に覆われるように降り積もるさまざまなこと。そこに照らす灯がある。
少年はこれからどうするのか、この親子はどうなるのか。何も語られずに物語は終わり、わたしは雪の季節の終わりの灯のように輝くトビの瞳を思います。
悲しみと呼ぶにはあまりにも静かで、むしろ平和を感じて、不思議に満たされたような気がするのです。
静謐という言葉が相応しい物語。