『最後の瞬間のすごく大きな変化』 グレイス・ペイリー 

なんとも癖のある硬い文体。訳者のあとがきによれば、もともとの原文が非常に難解なのだそうだけど、そういわれれば、わたしごときでもどうにかこうにか読める文章に訳してくれた村上春樹さんに感謝したいものです。
短編集で、たいていの物語は下町のおばさんやおじさんたちのかったるそうな世間話みたいな感じなのだ。なのに、
たとえば、図書館のエントランスにすわりこんでいる元夫に「ごきげんよう、わが人生」と声をかけたりする女性。
また、入院中の父がムスメにむかって「私にもう二度と日没を見せないでおくれ」なんていう。
なんだ、この芝居がかった表現は。下町のおじさんとおばさんの世界だよ?…なのに、不思議に違和感がない、不思議な硬さがある。この文体は嫌いじゃないです。

独立した短編だけど、物語のどの主人公たちも、たぶん隣人たち。舞台は同じで、生活はそれぞれに決して豊かではない。さまざまな重荷を抱えながら、その日その日を懸命に生きている人たちの、あちこちの居間や公園の片隅での世間話をきりとったような物語。
そのなかにちらちらと見えるのは、皮肉よりも、もうちょっとだけストレートな怒りのようなもの。
民俗の問題や環境問題。豊かではないどころか、ほとんど底辺に暮らす人たちの明るいプライドを感じる。
ひやっとするような、残酷な余韻を持って終わる物語が結構多いのだけど、なんとなく、からっとしている。
でも正直言って、なかには読み終わったあと「だからなんなの?」と聞きたくなるようなのもある。
アメリカで熱狂的なファンを持つ作家だそうだが…どう読んだらいいのか教えて欲しい。。

だけど、
ひとりの女性が死に掛けている。もうすぐ私は死んでしまうのだ、とクリスマス前に電話をかけてくる。電話のこちら側の主人公も体の具合が悪い。その主人公がいう。
  >人生なんてろくでもないものよ、エレン。
   安っぽい毎日、安っぽい男たち。
   金もなくて年じゅうぴいぴい言って、家はゴキブリだらけ、
   日曜日には子供たちをセントラル・パークに連れていって
   小汚い池でボートを漕ぐだけ。
   こんな人生何が惜しいのよ、エレン。
   あと二年生きて子どもたちやらこのごみため状態が
   どうなっているのか見てごらんなさいよ、
   きっと世界じゅうのチーズの穴が
   ぼうぼうと火を吹いて燃えあがっているわよ。
言っていることとは逆に人生にしがみついて、とことん生き抜いてみたいという不屈の闘志を感じ、なんとも妙な感動を覚えた。
たまにこんな台詞が出てくるから、「この本は合わないかも…」と思いつつ、ついつい読んでしまった。

この人の良さは2度3度と読み直して初めてわかってくるのだそうです。 う~ん、ってことは、わたしがここで今ひとつ良さを見出せなかったのも無理はないのかもしれないです・・・