『銀のうでのオットー 』 ハワード・パイル 

時代は中世、ところはドイツ。
勇猛でおろか(敢えて…)な追いはぎ豪族と、静かな知恵の僧院のくらし。なんとも両極端な二つの世界に身をおくオットーという少年の素直さ。この素直な目を通して、わたしたちは中世の両極端な世界を垣間見る。
この二つの世界を結びつけるに、オットーという澄んだ目の少年の存在はなんと適役だったでしょう。
平和な祈りの生活から、血なまぐさい世界にひっぱり出されるとき、オットーの言葉はただ「さようなら」。この静かなさようならに、胸がいっぱいになってしまう。決して感傷的に書かれていない分余計に。
また、片腕を失ったオットーを抱いて、感情のたかまりを抑えられず、嘆き悲しむ父に
「父上、、そんなにかなしまないでください。それほどの痛みは感じませんでした」
と、その頬にそっと口づけする。

このオットーの心の静まりにあっては、静かな僧院でさえ騒々しく感じられてしまうほど。
この清澄さはなに。彼は、ただ従順に運命を受け入れているわけではない。
時代と、彼の生まれ落ちた場所、将来負わなければならないものと、育てられた風変わりな環境。こうした背景のなかで、育まれたものではないか。この素直さは、強い。従順に見えるが甘くはない。幼いながら、自分でもそれと気がつかないままに、時代に流されまいとストイックに自分を抑制しているようにも見える。
だからこそ、僧院でのあの別れの「さようなら」は胸を打つ。
そして、それは、皇帝への「陛下はみたところとても立派な方のようですから・・・」との言葉の爽快感に素直に浸れる。

この父コンラッド男爵は、前に読んだリンドグレーンの「山賊の娘ローニャ」の父親を彷彿とさせるものがある。勇猛果敢にして愛情深い。短所はどっさりあるけれど、それは、この深い愛情のおかげで帳消しにしたくなる感じ。

ラストシーンがとても素敵だ。ああ~、あの場面の続きを読みたい、読みたい、読みたい。

曖昧さの残らないきりっとした物語、という印象を持ちました。
また、ハワード・パイル自身の手に依るたくさんの挿絵が素晴らしかった。古典的なペン画で、雰囲気があり、美しい。中世の古城の生活が蘇ってくるようだ。