『日曜日の朝ぼくは 』 斉藤洋

中年のおじさん(?)の、小学生頃のある日曜日の回想から始まる物語。

毎日曜日の朝、模試を受けに行くために、ぼくは駅へむかうバスに乗る。ところがある日曜日の朝、ぼくは反対の方角へ向かうバスに乗った。行ったことがない終点の「久我山」へ、ぼくは「友だち」のために行こうとしている。
途中から、不思議な世界にすうっとまぎれこんでいく。死と生の中間のような世界です。

日常とはかけ離れているけれど、日常の世界に戻れないほど遠くに来たわけじゃなさそうだ、と思わせるような不思議な世界。
ふと、湯本香樹実の「わたしのおじさん」の世界を思い出しました。でも、あれより野趣に富んで(?)、俗世に混ざりこんでいるような感じの世界。
そこをただひたすら目的地さして進んでいくことは、ある朝、いつも向かう方向と逆の方向に向かおうと決心したことの延長線上にあるのでした。

逆方向に向かいたい。
一見順風満帆で進んでいるように見えても、誰にだって行き詰るように感じるときがあるはず。ことさら受験生だから、というわけじゃないでしょう。

逆方向のバスに乗る、というのがいい。そう、たまにはくるりと後ろを向いて、今まで背中にあった風景に向かって歩いてみたらいい。そうしたら、また前を向いて歩けるのかもしれない。
道はある。いつでももとの場所に帰れる、と、確認しながら進んでいくのだから、臆病だなあ、というより、つまりそうなんだ。すごく大きくはずれるんじゃなくて、もどることを前提にして、道からはずれてみたいときがある。それができたらいいね。なかなかそうはいかないけれど。
戻れると思っていたが、本当は違う、その道は戻れない。
逆方向に向かうってことは本当はそれだけの覚悟が必要なんだろう。

やがて大人になって、ある日、生まれ育った家に向かうバスに乗った「ぼく」。彼は今何をしているのでしょうか。もしかして、ふと閉塞感を感じて、今また、逆方向に向かいたくなったのではないだろうか、と思いました。
過去のぼくそっくりの少年にあって、あの日を思い出す。最後に少年に掛ける言葉がいい。
そっとバトンを渡すように。