『この本が、世界に存在することに 』 角田光代

九つの短編。この九つの物語がすべて本をモチーフにした物語で、読むほどに「本」というものの魅力を再確認していくよう、本って恋人のような存在なんだなあ、と思わせてくれる。
すべての物語のなかに、かならず一言はストレートに心に響いてくるくだりを見つけてしまう、なんか、なつかしいような、気恥ずかしいような、せつないような・・・うーん、なんていったらいいんだろう。

「旅する本」で、そろばんをはじく古本屋のおじさん。ミツザワ書店のおばあさん。こんな街のなかの小さくて愛しい古本屋や本屋さんにこもる気配は、きれいな本がそろった大型チェーンの古書店「ブック○フ」や、紀○国屋のような大型書店にはありえない、決して。

「旅する本」のように、わたしも本に追いかけられてみたいよ。
「だれか」のように、自分の本を旅先の本棚にすっと置いてくることで自分の一部を残してみたいよ。
「彼と私の本棚」 : 自分の本棚をボーイフレンドに「自分ちの本棚みたい」と言われたら、「好き」とか「かわいい」と言われるよりきっと百倍嬉しいと思う。・・・最後のほう、「わたし」が15巻目のあのページを開くところはせつなくてたまらない。 「不幸の種」では、こんな言葉をみつけた。
 >一年前にはわからなかったことが理解できると、私ははたと思い知る。
  自分が今もゆっくり成長を続けていると、知ることができるのだ。
「さがしもの」の「あたしはもうすぐいくんだよ・・・」というおばあちゃんの言葉はいたい。でも、無理だよ。「相手が死のうが何しようが、むかつくことはむかつくって言ったほうがいいんだ」って、わたしにはできなかった。「やさしさ」の底の浅さに気付かされるけど、「何さ、残される身になってみてよ、勝手に覚悟なんか決めちゃわないでよ。『起こってしまえばただの事件』だって?そんなふうに割り切れないよ。」とせいぜい吠えるくらいのことはさせてほしい。

忘れられない本、忘れていたのにある日思い出した掛け替えのない本、ずーっと探していた本、不幸(?)を呼ぶ本、万引きした本・・・
自分にとってのたった一冊の本。世界中に自分にとってのたった一冊があること。そういう本は生涯の伴侶みたいなものかもしれない。

読み終えて、こういう本を読みたかった、と思った。わたしはやっぱり本が好きだ、と思った。
世の中にはわたしの50倍も500倍も本を読んでいる人がいる。角田光代さんでさえそう思った。まして、わたしの5万倍本を読んでいる人はざらにいる。
それでも、
 >そう、本は人を呼ぶのだ。
という言葉にどきっとする。呼ばれてるような気がするよ。本棚の積読本たちに。図書館バッグの本たちに。書店や図書館の書架のあいだから。
だから、わたしも返事するように、こちらからも呼びかけながら、好きな本を読んでいこう、これからも。