『ミラノ霧の風景』 須賀敦子

初めて読んだ須賀敦子さんでした。
感傷的になっても不思議のない追想の記録なのに、感傷をほとんど感じない。むしろ躍動を感じさせる、そして、美しく、上質な感じがします。

人生の旬ともいえる時期の13年間を過ごしたイタリアの、さまざまな美しい都市、そして、そこに筆者の友人たちが群像となって霧のなかに浮かび上がってくる。
さまざまなエピソードを交えて語られるその街は、観光案内とはまるっきり一線を画したような感じで、空気の肌触りが、こちらにまでなじんでくるような気がしました。 たとえば、「ナポリを見て死ね」の章は、なんだかおかしい。
サン・ドメニコ・マッジョーレ教会の二つの墓のお話、絵葉書的風景(?)のナポリ湾とヴェスビオ火山を見晴るかす場所の松の木は、枯れるとまたおなじようなのを持ってきて植えるのだ、というオチのような、結びの句もそこはかとなくおかしいんだけど、須賀敦子さんのユーモアは、なぜこんなに品がいいんでしょうね。
また、「アントニオの大聖堂」で
 >わたしにとってのルッカの大聖堂は、やはりあの朝、アントニオとバスの窓から見た、霧の中に幻のように現れたロマネスクのファザードでいい。
乳白色の霧の中に確かに大聖堂の尖塔が鮮やかに浮かび上がるのが見えるような気がした。須賀敦子さんの友人の思い出とともに。

また、人々は、さまざまなエピソードをもって語られながら、すべてを語りつくされることはない。それなのに、そのいきいきした人物像は、わたしの知っている人のようではないか。顔かたちではなく、その表情や癖に彼らの息遣いが聞こえてきそう。

たとえば、
>(夫は)ひどい音痴だったから、歌というよりは、ふわふわした、たよりない雲が空をわたっていくような音だった。(p8)
こんなふうに言われたら、音痴もすてたものではない。(わたしも音痴なのです。)

また、たとえば「セルジュ・モランドの友人達」の章。本をめぐる交流は、なんとも食指をそそられる。わたしもその場に居合わせたくなる。居たって、話についていけるわけないのに。口を「O」の形にして(またはそれさえもできずに)文化人達の薀蓄に耳をかたむけるだけなのにね。

そして、強く感じたのは、彼らの孤独。生きている以上、誰もがずーっともって行くしかない孤独のかけらを、ひとりひとりの姿に感じてしまう。
遠い旅をしてきたマリア・ボットーニ、エニシダの花束をかかえたアントニオ、重たげな山靴をはいたカミッロ・デ・ピアツ、類まれな編集者カミッラ・チェルディナ・・・

そしてもっとも印象に残ったのは編集者ガッティ。夫の死後「現実を直視できなくなっていた」筆者をこんな言葉でいましめる。「睡眠薬を飲むよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ」

そして、あとがきで、
 >いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる
という言葉を読んだ時、タイトルの「霧」という言葉のもうひとつの意味を知るのです。

 >死んでしまったものの、失われた痛みの、
  ひそやかなふれあいの、言葉にならぬ
  ため息の、
  灰。
        ウンベルト・サバ《灰》より(本文あとがきによる)