『追伸(二人の手紙物語)』  森雅之

森雅之さんの初めての自薦作品集「夜と薔薇」が出たのが1979年。
あのころ、友だちにもらった「夜と薔薇」今でも宝物です。でも、当時、生意気にも、こういう本が商業ベースに乗るわけがない、「良い本」と「売れる本」がイコールで結ばれるわけではない、という見本のような本だとも思ったのです。偉そうにごめんなさい。
でも、売れても売れなくても、森さんは、すがすがしくこのままの姿勢で作品を描き続けていかれるかただろう、と思いました。
「夜と薔薇」のなかで「ぼくは手紙のような漫画を描きたい」とおっしゃってる。

そして、25年たって、「追伸」。(15年前の作品だそうですが)
25年以上昔のあの日から、森雅之さんの手紙が届いた。そんな気がしました。(もちろん、この間にもたくさんの作品があるはずですが・・・)
この本のなかの版画をやってる青年は森さん自身、歩きながら大切なことを考える青年は森さん自身、胸のなかであの人に手紙を書いている青年は森さん自身・・・のような気がしました。そうだといいな。
古臭くて、切なくて、温かい。ゆっくりしすぎていて、バカだね、と言いながら、思わずほろりと涙を流してしまうような…
こんな恋愛いまどきあるわけないよ。青臭いよ。気恥ずかしいよ、見てられないよ。――それなのに、なぜか沁みてしまいます。
気恥ずかしいけど、こんな世界がまだあったか(あったらいいよね、あってもいいよね)、眠っていたものをふっと揺さぶられたような気もち。

 >そうして、手紙の末尾に加えられる「追伸」には、
  本文に綴りきれなかった言葉、
  でも本当は一番に伝えたかった思いが、込められていたのです。 (「序」より)

なんて繊細で、シャイな、不器用な言葉でしょう。そして古風な手紙たち。
なんだかなつかしい。古い友達が古い時代から手紙をくれたような気がする。
それはとてもうれしいことではありませんか。

あ、そうだ、物語の傍ですが、本屋で働くことを楽しむ小林さんがよかったです。楽しそうだなあ。本屋で働いたことはないんだけど、彼女のうれしいこと、みんな、よくわかるような気がしました。あんなこと、こんなことのひとつひとつに、にこにこしながら「うんうん♪」と頷きたいです。

この本は、「…いつまでも続く遠い明日への新しい『追伸』の物語です」という言葉で終わります。
いつの日か、別の物語で、森さんの新しい「追伸」を読みたいなあ、と思いました。