『ジェニーの肖像』   ロバート・ネイサン 

図書館にあったのは偕成社文庫でした。山室静さんの訳です。

若く貧しい絵描きイーベンがはじめてジェニーに会った日、別れ際に彼女が言った言葉は
  >「あなたに、わたしが大きくなるまで待っていてほしいの。」
そして、その言葉のままに、逢うたびに、彼女はイーベンの歳に追いつこうとしているようでした。
不思議なことなのに、なんとなくそのままに、受け入れていくイーベン、そして読者であるわたし。
不思議なことが当たり前であるようななんともいえない雰囲気がここにはありました。

なぜ、と問い掛ければ、たくさんの「何故」でいっぱいになってしまうのに、あえて、何も知る必要はないのだ、と、どんな不思議もそのままに受け止めてしまいました。

不思議で、美しい。古き良き時代の詩情がただよっています。映画にもなったそうですが、確かに映像になりそう。それもとてもきれいな映像に。
そして全編に渡って流れる、幻想的で、どこか悲劇的な、そして物憂げな雰囲気は、この物語が悲劇におわることを予感させるのです。
何か定められた運命の上を物語がすべっていくような感じ。

萩尾望都の「マリーン」(露さんの日記で)のイメージを持って読んだのですが、本当に似ていました。水野英子の漫画「セシリア」、恩田陸の「ライオンハート」どちらも知らないけれど、この物語の影響を受けて生まれた作品とのこと、後の多くの作家たちに影響を与えたのは不思議ではない、と思いました。
というのは、このお話は、たぶんメロドラマです。格調高そうでいて、そうではなく、大衆的かといえば、それも違っていて・・・「わたしだったらこういうふうに表現するのに」と思わせる余地があるんです。一切れも作家らしい才能のないわたしが言うのは変ですが、そう感じました。

この本から、もうひとつ思い出したのは「トムは真夜中の庭で」でした。
おばさんの家に預けられて、夜毎眠れぬトムは、アパートの裏の本来ないはずの庭で、ハティという少女と遊びます。ハティもまた、逢うたびに違う「時」を生きているのです。
でも、この物語には「わたしだったらこういうふうに表現する」はないんです。あまりにも完璧すぎて、読者としては感動してため息つくしかないのだなあ・・・

しかし、「時間」ってなんて残酷なものなんでしょうね。「待つ」ことのできない時間の流れは、近年ますます速くなってきているように思います。ときには立ち止まって、あとから来る人を待っていたい、あるいは、待っていて欲しい人もいる・・・