『となりのこども』岩瀬成子

あれ、この子知ってる・・・
万智も理沙も由希も竹男も・・・
みんな、お帰り、わたしはここだよ・・・
子どもの中にある無邪気さ、というよりずるさやちょっとした意地悪さ、よくわからないことにいらいらしたり、大人に説明できないすごく大切なものもあった。けなげさもあったけど、意固地でもあった。ずるかったけど、ちょっとだけやさしかった・・・

「となりのこども」というこのタイトルはどこにでもいる、そら、わたしのなかにも、という子供達。どきっとするけど、ちょっとだけこそばゆいような昔の自画像。

存在感があるといえば、子どものほかにお年寄り。理沙と竹男のおばあちゃん。(「夢のおつげ」)
一話だけ老人の一人称で綴られる花井さんの話。(「あたしは頭がヘンじゃありません」)
どちらのおばあちゃんもやることが子どもみじめていてクスッと笑わされるのですが、どうしてどうして、深い。人を見る洞察力にうーん、とうなり、
たとえば持ち前の針を使わなければならないときも、それをストレートに表現するのではなくユーモアのオブラートにくるんですっと差し出してみせるあたり、もう、勝てません。

それにくらべて親たちのおろかさときたらどうだろう。
家族を養うことに必死で、一日一日が戦いで、余裕がないのかもしれない。何も見えてない・・・これは同じ世代の自分への反省文でもあります。

好きなのは、花井さんの話。「わたしは頭がヘンじゃありません」) 竹男君のやさしさと、ふたりの共感がとてもすてきだ。

それから「鹿」。白い鹿の姿で表現される二人の子どもの微妙な心の温度の変化が好きです。
人と人がつながりあう仲立ちをするのが鹿の姿だったり人形だったり、手帳や白い封筒に入ったお金。
また自分の心をうつすのがプールの底のだれかだったり、夢だったり・・・
心を持たない「物」たちが、人の気持ちを映して、ものも言わずに活躍してくれたように思いました。

切り取られた子供達の日常のほんの一こまを描いた短編集。でも、この一こまの奥行きはかなり深いです。