『川の少年』  ティム・ボウラー

孫のジェスに「いまを生きろ、心の戦士となれ」と伝えてきたおじいちゃんの命が、もう終わろうとしています。
入院中のおじいちゃんは無理やり退院して、生まれ故郷に、一家(パパ、ママ、ジェス)とともに旅立ちます。
画家であるおじいちゃんは死ぬまでにどうしても描きあげなければならない絵があったのですが、それは、故郷の川を前にしなければ、完成させることができないからでした。
絵のタイトルは「川の少年」・・・でも、絵のなかにはどこにも少年の姿はない。

なんと、美しい幻想的な世界でしょう。この人気のない川の描写が大変美しくて、目に見えるような気がします。
川でジェスが感じる不思議な気配。やがて、それは少年の姿で現れます。この少年は何者なのか。
おじいちゃんが最後に、渾身の力を振り絞って描き切ろうとしたものはなんだったのか。
人が生きて死んでいくということはどういうことなのか。愛する肉親の死を受け入れる、ということはどういうことなのか。
読み進むにつれて、ひとつひとつに答えが見えてきます。

少年が源流でジェスに語ったことばが心に残ります。
  >旅の途中で川にどんなことが起こったとしても、
   最後は美しく終われるってわかるからさ。

  >・・・そして最後のところにたどりついても、
   またすでにここでは新しく生まれた川が流れはじめているんだ。

ここに登場する人々が生き生きと描写されているのもよかったです。それぞれの人間達の個性がはっきりと読み取れて、安心してついていけます。
特におじいちゃんの描写はすごいです。強い意志、弱まっていく体、焦燥、未完成の絵を通して見つめていた世界。
そして、孫のジェスとの結びつき。

ジェスが初め恐れと不安を感じた少年。それが、近く、慕わしいものに感じていく過程。
初めはジェスの存在に気がつかなかった少年が、ジェスに目をとめ、彼女が近付いてくるのを待つまでの過程。
そのあいだに、おじいちゃんのからだが刻々と蝕まれ、残された時間が少なくなっていく・・・体の変化と気持ちの揺れ・・・
圧倒される、という感じではないのです。ただ、そういうことがからみあうようにして物語の中をゆっくりと流れていくのがしみじみと味わい深いのです。

おじいちゃんは絵を完成させることができるのか、少年は何者で、何故、ジェスにだけ見えるのか・・・
様々な疑問を感じて、先へ先へ、とどんどん読んでしまいました。

おじいちゃんの最後の絵は、世間的には、たぶん本当に駄作なのでしょうね。長い間おじいちゃんの絵を見続けてきたパパとママが言うのだから間違いないでしょう。
でも、おじいちゃんにとって間違いなく真実なのです。おじいちゃんは自分の人生を描いたのです。
そして、最後の筆をジェスとともにいれる。ジェスとともに、川を海まで泳ぎきることに重なるのです。

そして、ラスト。最後の二行を読んだ時、さあっと気持ちの良い涼しい風が体を吹き抜けたような気がしました。
  >そしてその後からジェス自身も飛びこんだ。
   風を切って飛びこんでいくとき、最後にもう一度、 
   ジェスはあの少年がすぐそこにいると感じた。

なんてさわやかなラストシーンでしょう。忘れられないラストシーンです。
これは、死の物語ではありません。
悲しみはあっても、人生を力を尽くして泳ぎきった人への敬意。そして、生を受け継いでいく物語なのだ、と感じます。