『意地っぱりのおばかさん』  ルーシー・M・ボストン

副題 ――ルーシー・M・ボストン自伝――

ボストン夫人に会った人は、すぐにグリーンノウの物語のオールドノウ夫人を連想するらしい。わたしも、グリーンノウの物語を読みながら、なんとなくボストン夫人とオールドノウ夫人を重ねていました。
グリーンノウ館のモデルになったマナハウスの主。ガーデニングとパッチワークの腕はプロ顔負け。しわだらけの小さなおばあさんなのに、若々しい声で笑い、話し、軽やかに庭を歩く。
ルーシー・M・ボストン、本当はどんな人なんだろう。どんな半生を送った人だったんだろう。

19世紀末に、サウスポート市長の娘(6人兄弟の5番目)として生まれる。6歳で父親と死別。大変慎ましく厳格に育てられるが、その当時の少女としてはそれほどめずらしいことではないのかもしれません。
7歳のときに風景を観て強く感動したことを今も覚えていて、たぶん、そのときから「風景が心のよりどころであリ、生きるうながしであること」に気がつきます。グリーンノウのシリーズや「リビイがみた木の妖精」などの気配を感じたりするエピソードでした。
また、メソジストの信者(ルーシーの家庭はメソジストだった)が、カトリックを毛嫌いしている描写など、おもしろいです。

青春時代。持ち前の好奇心と、自由な精神、そして、強い意志を持ち、轟然と頭を上げて生きていた姿。おそらく、五十年ほどあとだったら賞賛されただろう生き方は、あちこちで誤解を招き、摩擦を生じさせます。
1914年ごろ、兄や従兄とバイクを乗り回したりしてるんですよ。女性より男性とのほうが気楽につきあえたようですが、当時の常識に合っていないため、誤解を受けてしまう。本人は無邪気なものですが・・・

戦時下、看護婦として働いたエピソードはとても興味深いことでした。劣悪な環境、治療というより虐待に近いことを平気でやる医者・・・

それにしても、この人は、必要最小限しか書かない。
親友との待ちに待った心躍らせる再会の日に、出会ったのは、抜け殻のようになってしまった友。彼女は十数年後に自殺するまで、二度ともとの姿には戻らなかった。
従兄のハロルドと結婚したが、後に離婚したこと。
こういうことを書きながらも、その前後にからむ事情は一切書かれていない。メロドラマになりそうなことは一切切り捨てた、ということかな。それはさばさばとした男性的な性格の彼女らしい文章でした。

グリーンノウのオールドノウ夫人の穏やかなイメージをそのまま若き日のルーシーに重ねていたわたしは、あまりにもイメージと違ってびっくりでした。
常に前向きで、鋭い洞察力、感性をもち、毅然として、自分の内なる要求に従って生きるルーシー。こういう人だったから、60歳を過ぎてから作家活動に入り、あんなにも瑞々しい物語を書けたのでしょうか。

ルーシー・M・ボストンの誕生から結婚式までの記録。
その結びの文。
結婚式前に姉のメアリーが会いにきて・・・
 >「あのことで結婚するのなら、やめなさいって、母さんがいってるわ」
  しかし、毎度のこと、私はやめはしなかった。
       ――これでおしまい――