副題 :「ちびくろサンボの物語」とヘレン・バナマン
物語として、非常にすぐれていることは否定できない「ちびくろサンボ」であっても、そこに物語とは別の何かのひっかかりが、あとから入ってきたらしい。
ヘレン・バナマンがどういう経緯でこのお話を書いたのか。
それがどのように出版されたのか。どのような変遷をたどったのか。
日本での絶版事情に始まり、イギリス、アメリカでの事情、そして、ヘレン・バナマンその人の生涯。(インドからスコットランドの子供達に贈った絵手紙のすばらしいこと)
子どものために書かれた一つの小さな物語をあちらからこちらから検証しながらも、どの意見に対しても是とも非とも言わない。
ただ、こういうことがありました、そのことについて、こういう意見がありました。ちがう意見もありました。と事実だけが述べられていく。
差別というものが、この物語に入ってきた事情についても、大半は、どうやら、この物語の責任というよりも、この本をめぐる偏見に満ちた人間に責任があるように思いました。
しかし、一つの文学作品のある一面を捉えて、根こそぎ、この世のなかから失くしてしまおうとすることは、およそ文明社会の所作ではないだろう、と思う。
差別あるなしの問題よりも、こちらのほうが数倍おそろしい事実ではないでしょうか。
以下の文章が心に残りました。
『ちびくろサンボの物語』そのものは、ごくささやかな本かもしれないが、
どんな本であれ発禁にすること自体が、どういう事態を招くか理解することが重要なのだ。
人種差別的だという理由で本が発禁になると、そこの人たちに触れるのはタブーだと見なされる地域が広がって、
逆に少数民族の権利や移住といった重要な諸問題を学術的、あるいは政治的立場から
適正に議論し、理解を深めていくことができにくくなる。
禁止するというのは、きわめて愚かしい方策である。
それはその対象となったものだけでなく、対象をとりまくさまざまなことをも損なってしまう。 (p32)