『ルチアさん 』 高楼方子

高殿方子さんの宝箱の中に迷い込んじゃったんじゃないかな、と思いました。
これ、高楼方子さんそのものなんじゃないかな。
不思議で、きらきらしていて、
行った事もない、見たこともないのにどこかなつかしいような、
そんな高楼方子さんの作品の世界の秘密をこっそり垣間見てしまったような気がしました。

たそがれ屋敷という、まるで時間がとまっているかのような静かな屋敷に、お手伝いさんとしてやってきたルチアさん。
お屋敷の二人の少女スゥとルゥルゥには、ルチアさんの身体からぼーっと水色の光が出ているのがみえる。
ルチアさんがいると、かすかにお屋敷の人々の様子が変わっていきます。
 >ルチアさんの前で、なぜ、自分たちは心にしまったなにかしら輝くような思いを、表に出してみたくなるのだろうか…
ルチアさんの秘密を追いながら、時を越えてつながっていく思い。
そして、秘密を追いながら、三人の少女たちは、それぞれにしっかりと自分の道をみつけていくのです。

ルチアさんってどんな人なのでしょう。
最高に素敵なエピソードがあります。
銀行にお金を預けに行く途中で、ひったくりにあって、財産をなくしてしまった話をこのように語ります。感情を表すことなく、淡々と。まるで、人事みたいな顔をして。
  >「ふと見たら、わたしの鳶色のバッグが、
   前を歩いている緑色の服を着た、
   小さなおじいさんの手からぶらさがってたんですの。
   ところが、そのおじいさん、千里靴をはいてたとしか思えないんですの。
   走ってもいないのに、ひゅんっとこう、まーっすぐ、みるみる、
   小さく小さく、ちいっさくなって、しまいに消えっちまったんですもの」

どこからも遠い場所に実る不思議な水色の果実。という、いかにも高楼さんらしいとびきり素敵な小道具を見せながら、さまざまな人のありようを見せてくれました。
遠くにあこがれを抱き、それに向かってひたすらに進んでいかずにはいられない人。
憧れを入れる入れ物を心の中に持ち、今、現実にここにいながら、憧れの国にも同時に存在することが出来る人。
憧れたり夢を見たりする暇もなく、ただ、今いる場所で精一杯生きている人。 いずれの生き方も、作者は否定しません。どの生き方が素敵、とも言ってはいないのだと思います。
それなのに、それぞれの人たちが、この作品のなかでであったとき、ふと自分の生き方を省みたり、相手の生き方を受け入れたりする、そこに、感動しないではいられない何かがあるような気がします。心の奥から静かによろこびがわきあがってきます。

出久根育さんの挿画、装丁が素晴らしいです。この本の雰囲気にこれ以上似合う絵と色は他にないよ、と思わせるような素敵な装丁でした。この絵の力を借りながら、わたしたちは、「ルチアさん」の不思議な無国籍・無時代空間に入っていきます。

読み終えて、ときめくような不思議なよろこびを感じながら、わたしも、どこかに水色のシャボン玉みたいな宝石を持っているんじゃないだろうか、ただ忘れているだけなんじゃないだろうか、あの食器棚の、いつも空けない引き出しの奥をかき回したら、ひょっと出てくるんじゃないか、などとアホなことを考えてしまいました。