『ケルト巡り 』 河合隼雄

臨床心理学者・心理療法家である著者が、イギリス、アイルランドを旅し、ケルトの伝承文学、ドルイド、魔女などを検証しながら、日本とケルトの文化の共通点を追い、わたしたちの生き方を考えようとする本、と一言で言えば、こういう感じでしょうか。

ケルトの昔話と日本の昔話の共通点は、ともに、キリスト教の考え方に基づいていないことがあげられています。ケルトもまた、大陸の辺境に位置し、固有の文化を維持してきたのでした。
特にハッピーエンド(冒険による自己実現と結婚)ではないおわりかた、自然と人間が一体になろうとする傾向が顕著であること。
ケルトの昔話に「うらしまたろう」や「はごろも」に酷似した物語があることが、意外であり、おもしろい、と思いました。
キリスト教以前のヨーロッパでは、むしろ、こういう、悲しい儚い物語が「おはなし」の主流だったのではないのか、
この世に生きる、ということは理不尽なことのほうがそもそも多いのではないか。
そんななかで、悲しみや苦しみを乗り越えることよりも、むしろ、苦しみとどのように折り合いをつけていくか、ということのほうが、人の心を打ったのかもしれません。そして千年以上ものあいだ、人から人へと伝えられてきたのでした。

ドルイドや魔女について。
ドルイドは神秘教団だと思っていましたが、
実は宗教ではない、また、ケルトは文字を持たない文化であるがために、太古のドルイドの様式はまったく現代に伝わっていない、現代のドルイドは絶えず試行錯誤を重ねながら自然回帰をめざすグループなのだ、そうです。
びっくりでした。
魔女は、現代、「魔女」という看板を掲げてなんと営業(!)しているそうです。しかもタロットカードを使いながら、河合さんのお仕事とかぶるようなことをしているそうで、なんともおもしろかったです。

ドルイドにしても魔女にしても、それからレイラインと呼ばれる神秘的なできごとにしても、そちらに傾倒するのではなく、
かといって、新しい流れを取り入れることで、自ら持っていた知恵や文化を忘れるということでもなく、
キリスト教や近代科学では答えが出ないものもあるのだなあ」という捉え方で、バランスを保つことが必要なのではないか、と著者はいうのです。
そして、自然と融合することを望みながら生きてきた本来の日本人がこの先、生きていく方向も、見えてくるのかもしれません。
ケルトと日本の文化を結びつけながらの日本人としての生き方をさぐる「ケルト巡り」は、大胆な気がするところもありましたが、誠実な言葉に納得することの多い本でした。
著者の誠実な問題提起に好感を持ちました。
自然と共に生きてきたわたしたちの祖先の心が ケルトのむこうに垣間見えたような思いです。