『ぶらんこ乗り』  いしいしんじ

不思議な物語でした。こんなお話、読んだことがありません。
いい本なのか悪い本なのか、まったくわかりません。そもそも、この人の文章が、上手そうに見えて、実はおそろしく下手だったり、その反対だったり、なにこれーって感じなんです。
なんだかなつかしい光景に出会ったような感じがします。そう、昔からある古い日本の光景です。と、見せかけて、実は、とんでもなく無国籍、というより、まるっきり別世界のよう。
出てくる人も動物も、変なのばっかりです。まったく現実感がないのです。ありえないでしょ。いないでしょ。
主人公は語り手である少女の弟ですが、この姉弟がまず変。このふたりの属する家族も変。
そして、この家族に起こる事件が、リアリズムのかけらもないのです。ありえないよ、こんなこと。

現実とかけ離れた世界です。
ものすごくごちゃごちゃしてます。
透明なようで、曇りガラスのように不透明な世界です。
シュールで、かわいい文字で綴られたかわいい物語の先にぞくっとするおそろしいものがぶらさがっていたりします。
なんだかこわいなあと思っていると、突然、締め付けられるような悲しみや優しさに出会ってしまいます。

もう、何もかも放り出してしゃがみこみたくなるくらい切なく、美しいものをみつけてしまった――

そんな本でした。

ぶらんこを大きく漕いで、あちらとこちらのハザマで揺れている弟。
 >「サーカスは思ったとおりだった。あっちがわとこの世の、ちょうどあいだにある。
   ばくはなんどもあっちがわにひっぱられそうになった。
   でもおねえちゃんが見ていてくれた。
   ぼくにはちゃんとうしろからロープがついていたんだ!」
弟は、こちらの世界に、自ら手を伸ばすことができない。
天才少年は、生れ落ちた時から、この世ともあの世とも手を結べない「あいだの世界」にいて、自分のほうから「こちら」に手をのばすこともできない。なぜなのかはわからないけれど。
姉のロープだけが彼をこちらに引きもどしていた。あちらに行ききりにならないように。

お話をノートに綴り続けた弟。弟のお話は
第一期 声を失う前まで
第二期 動物の話を聞いていたころ 
第三期 最後のころ(たったひとつの物語)
の三つに分けられるように思います。

どのときも残酷なほどの孤独のなかに足をふんばっているのですが、もっとも美しい物語は最初のころのもの。
このころは、ふりかえれば「おねえちゃんが見ている」ことを信じられたころ。
声を失った(いや、ほんとはもっとずっと悪い)ことに気付いたときに、そして、第一期の一番終わりに書かれたお話が一番好きです。「歌う郵便配達」。彼の歌をわたしも聴いてみたい。
そして、このお話を最後に、たぶん、彼はせなかのロープさえ信じることができない、本当の孤独に落ちて行ったのではないでしょうか。

ぶらんこをこぐぎいっぎいっという音が聞こえてきそう。必死になって均衡をとろうとしている姿。

動物の話を書き取り始めたころから物語は一気にシュールなブラックユーモアの色を増していきます。
それは、こちらの世界と手を結ぶことを(手を伸ばすことさえも)諦めきったシニカルな弟の世界。その孤独の深さにぞっとします。

そして最後のころ。たったひとつだけの最後の渾身のものがたり。
はがきが届く。それだけでもたまらない。そこにもってきて あの仕掛け。
いたずらの天才。ほんとうに天才。ほんとうにほんとうに天才。

もうひとつ。
おばあちゃんがすごいです。何がすごいって、その存在感。
もうちょっとで、ほわーんとした夢物語になりそうなこの物語を、しっかり現実に引き戻す力を持っていた、と思います。

もし、このあと、弟が姿をあらわしたら、きっと彼は、「おねえちゃんのロープ」ではない何かをみつけているはずだと思うのです。こちらの世界としっかり手を結べる何かを。わたしの単なる希望かもしれないけど、でも、そんな期待を持って読了しました。