『 ソーネチカ 』 リュドミラ・ウリツカヤ

なんて感想の書きにくい本でしょう。
場合によっては、きれいごとになってしまう。あるいは、安っぽいメロドラマになってしまう。
この本が語っているのはそういうものとはまるっきり違う、のですが、とても上手には伝えられません。

平凡な女性の平凡な一生。
いや、とんでもない。これほどに非凡な人間がいるでしょうか。
滑稽なまでの愛情深さ、愚鈍さ。だけど、この不思議なゆるぎない豊かさ。愚直な、しかし、その深く重い愛情に満ちた人生。
これは物語なのでしょうか。あまりに静かで平和すぎて。なのに、なぜ、こんなふうに、波のように感動が押してくるのでしょうか。

ソーネチカの人生の最大の危機、でさえ、なんと淡々と語られるのでしょうか。
いえ、危機なんかじゃないのでした。彼女にとっては。
激しい憤りや恨みがあってしかるべき時に、彼女が感じたのは、ただ悲しみだけでした。そして感謝。(現実社会のなかで生きるわたしにとってはあまりにも受け入れがたいことでしたが)
愛する夫の才能に何一つ寄与することのできない自分のかわりにミューズが降り立ったと。

また、夫の愛人であったヤーシャ。
ソーネチカとヤーシャの不思議な関係。人に「レアとラケルのようだ」と言わしめるような。
ソーネチカに最も誠実であったのは、ヤーシャだったのかもしれない。
自分の愛人よりその妻との結びつきの強さに、驚きます。
彼女はソーネチカを理解していたわけではありませんでした。
ソーネチカもまたヤーシャを理解しませんでした。
でも、それがどうだというのか。ひとりの男を介して、互いを思う気持ちは、なんだろう。
書いたら、それはきれいごとっぽくて、うそっぽくなってしまうんだけど。でも、ふたりにとってはあまりにも自然lでした。
「裏切り」という言葉をここで口にしたら、かえって口にしたほうが、妙な気持ちになるくらい自然な。

まさに「静謐」という言葉がふさわしい本ではないでしょうか。
 >赤ちゃんなのか子どもなのかわからないような幼いときから、ソーネチカは本の虫だった。
という一文で始まったソーネチカの人生は、最後に再び平和な本の中に戻っていきました。
と、いうよりも、彼女の心にとっておよそ平和でなかったときなんてあったのでしょうか。
最初から最後まで、ずっと抑えた文章が続き、
 >夜ごと、梨のかたちをした鼻にスイス製のめがねを掛けて、ソーネチカは、甘く心地よい読書の深遠に・・・心を注ぐのだった。
という最後の一文に、その情景を思い浮かべた時、ふと涙があふれてきました。
祝福を。ソーネチカに。