『ケルトの白馬』  ローズマリー・サトクリフ 

表紙を飾る写真は、緑なすバークシャー丘陵のアフィントンにある巨大な白馬の地上絵(幅100mほど)です。緑の中、この地方特有の白い土(チョーク)を露出させて描かれた巨大な馬は、最初に見たときは、「馬と言われれば馬だろう」程度にしか感じなかったのです。
本を読みながら、何度も見返したこの写真。サトクリフは、見る目のないわたしにもはっきりと見せてくれました。この馬の本当の姿を。
流れるように優美に駆ける誇り高い馬。余分な線を思い切って省略して、限りなく本質に近づけようとした美しい形。
しなやかでありながら、力強く、芯がぴんとしている。不安定に疾駆する姿でありながら、危なげないのはこの芯がしっかりしているからだ。
そして、この馬の姿のなかに、サトクリフが語ってくれた「ケルトの白馬」という物語のすべてが、全部描かれているではないか、と気がつきました。この馬の姿が物語そのものでした。
サトクリフはこの馬の姿を「物語」という形を借りて写生したのではないか。あるいはサトクリフの物語が目に見える形でこの絵になったのか、と思うほど、
この馬の写真と物語は、もう、離すことができないような気がします。

男性的な骨の太い文章が描き出す、ひとりの青年ルブリンの崇高なまでの孤独。それが凝縮された芸術。
死を覚悟した青年はきっぱりとして爽やかですらあります。彼が描こうとしたもの、描いたものは生そのものだったから。
彼にとっては死はおわりではないのです。
そして、ルブリンの「生」を縦糸にして、織られているのは、さまざまな人間模様。 ダラとの強い結びつき、征服者クラドックとの不思議な共感。
そして、「名前を呼んでもらえなくなった女たち」、旅の足手まといになることを恐れて毒をあおる老人たち…
必死になって生きようとする人間の原初の姿を見せられたように思えて、言葉が出ません。

ダラとルブリンの別れのシーンは忘れられません。
  >「おれの魂の友よ。
   「りんごの聖樹の地で、おれを待っていてくれ。
   …必ずおまえのところへ帰るから、それまで待っていてくれ。
   おまえをいつも思っているから、おれを忘れないでくれ」
空白の部分にきっとあるはずのたくさんの物語を思い切って切り捨てて、芯の部分だけを残した物語だと思いました。(アフィントンの白馬の姿そのままに)
それだから優美に力強く、こんなにも心を打つのでしょうか。
それとともに、この厳しい世界の背景がこんなにも美しく詩的に描かれていたことに感動しました。
はるにれをゆするいい匂いの風を感じます。