『指輪物語(1~4) 第一部 旅の仲間』  J・R・R・トールキン 

白状します。序章あたりで挫折しかけました。「ホビットについて」とか「パイプ草について」とか…これを読まなければお話に入っていけないのかと思うとため息が出ました。さらに、本編に入ってからも、いつまでたっても旅に出ないフロドにいい加減うんざりして、とばしてしまおうかと思ったくらいです。
しかし、今、第一部を読了したところで、一巻に戻ってみると、(序章はともかく)この世界の素晴らしさに打たれます。トールキンがどんなに丁寧にこの世界を構築したのか、ひしひしと感じます。そして、このあと、この世界が受ける受難を思い、切なくなってしまいます。全巻読了したら、もう一度、この冒頭に戻ってみたいと思います。

ここは、ファンにとってはすっかり御馴染みの世界なのかもしれませんが、
わたしは、いきなり、迷いこんだようで、理解できないことがいっぱいありました。でも、わからなくてもいいんだ、このまま進んでもいいんだ、と思うことにしました。(お気楽な性格なので♪)
地図オンチのため、地図を見たって、上へむかってるんだか下へむかってるんだか、右だか左だか、第一現在地はどこ?
という状況では、最初から、あっさり、地図は無視。
詩やら、伝説など「???」、独特の世界観にも時々「???」、でも、一読してもよくわからないのも、あともどりせず、ひたすら先へ。
覚えきれない登場人物にしたって、主人公を見失わなきゃOK、ってことにしました。
フィーリングと気合と、あとはノホホンで旅を続けます。

暗い森、洞窟、絶壁、忍び寄る怖ろしい気配。
目的も見えず、帰ることができるのかどうかもわからない、ただ逃げるための旅。
それなのに、読んでいるわたしには悲壮観がないのです。おかしいんだけど、わくわくしてしまう。
わたしのなかに浮かび上がるイメージは・・・
広い大地を俯瞰する高台に立つ、つんととんがったフードとマントの小人たち。そして、こぶこぶの杖をついた白いひげの魔法使い。
くらやみに浮かび上がる焚き火の火とそれを囲む小人たち。詩を吟ずる声。
軽いなあ、と思うけれど、「エルフが見たくてたまらないから旅に出たい」と言ったサムの言葉が一番わたしの気持ちに似ている。
この旅人たちのあとについていきたい。

ちゃんとした感想は全部読んでから、と思っていますが、ちょっと心に残ったことを…

☆ネタばれです、ごめんなさい☆
ガンダルフは…あっけなく、これで終わりのはずないよね。きっとまた出てくるぞ。サルマンと対決しなきゃ、だもの。
それから、ボロミアとガラドリエルのこと。
指輪の魔力に取り付かれた二人。しかし、一方はその魔力に打ち勝ち(このあとはどうなるかわからないけど)神々しく輝いているのに対して、一方は負けて、結局滅び去っていく。
このふたりの違いはなんなのでしょう。エルフの三つの指輪のひとつを所持し、エルフの女王として君臨し、遠く見通す力のあるガラドリエルだからこそ、誘惑に打ち勝つことができた。
これに対し、ボロミア。確かなものを何も持たない死ぬ運命にある人間の、守らなければならないものを何を置いても確実に守り通したいという一途な思いが始まりでした。その一途さ(と弱さ)に付け入られたのだと思えば、哀れでした。ふたりの不平等さが、世界の不平等さにも感じられて、強大な力を渇望し、ずたずたになってしまうボロミアが悲しかった。
そして、こういう罠は、わたしたちのまわりにもいっぱい張り巡らされているのだと思うのです。
心のなかの一点のくもりが、大きな闇の力を引き寄せてしまう…
ロスロリアンを去る日のサムとガラドリエルの会話が心に残ります。
  >「奥方様が指輪を受け取ってくださったらなあ。
   あなたさまはなんでもちゃんと元へ戻してくださるとええだ。
   …汚ねえことするやつらをこらしめていただけますだね。」
   「そうしてあげましょう。」と奥方はいいました。
      「といったふうに始まるのですよ。
   しかし、悲しいかな、それだけですみはしないでしょう…」

今朝、新聞で、「中国」という文字を見た瞬間、「えっ、中つ国!?」と思ってしまいました。やばいです。

「…私の見るところ、すべてが暗い。これからそなたは多くの敵に出会うだろう。公然と敵対する者もおるだろうし、正体を隠して近付く者もあろう。そして、またそなたは、旅の途次、ほとんど予期せぬ時に、友人たちを見いだすだろう。…」(3巻145P) 裂け谷を出立するときのエルロンドのことばを忘れず、お気楽な旅人ですが、旅を続けます。