『コウノトリと六人の子どもたち』  マインダート・ディヤング

オランダの小さな漁村ショーラ、生徒が6人しかいない学校で、ひとりの女の子が「コウノトリ」についての“つづりかた”を発表したのが、始まり。
ショーラにはコウノトリが来ない。なぜこないのか・・・子どもたちは考えます。
ショーラには、木がない、巣作りする場所がない・・・
コウノトリが巣作りに使う(荷車の)車輪を学校の屋根にあげよう、子どもたちは車輪を捜し始めます。 そして、子どもたちの一途な願いが、大人たちの願いにもなり、村中が力を合わせていきます。

物語の前半は、車輪(=輪っこ)を捜す子どもたちのことがひとり1章ずつ書かれていきます。こどもの気持ちが丁寧に、そして、それぞれ、出会った大人とのふれあいが丁寧に、描かれていきます。
それぞれの子どもにとって、車輪探しのあいだに出会った大人は、よく知っている人です。よく知っているけれど、必要以上に知ろうとしなかった人たちです。
つまり、普段挨拶するだけの人、いつも怒鳴り散らす怖い人、すごくお年寄りで近付きがたい人…
そして、大人にとっても子どもは、十把一絡げのただの「子ども」という塊にすぎなかったのです…

やがて、後半は、村中が子どもたちを後押しすることになる、どきどきする冒険もある、そして、静かな感動へと導かれます。

私が好きなのは前半の、子どもと大人のやりとり、ひとつひとつの出会いにある小さな小さな心のドラマ。
微妙な一瞬、微妙な言葉やしぐさの端切れから、何かが変わっていく。互いの心の奥の忘れていた部屋の扉が開くようです。
すっかり偏屈になっていた車椅子のヤーヌスがガキ大将のような快活さをとりもどし、子どもたちの柱のような存在になっていくさまは、本当に印象深いのですが、アウカと錫屋さんの話も、もうすぐ百歳になるドゥワとリーナの話も、捨てがたい輝きを放っています。

>「わしのことを、おじいさんとお呼びでないよ!」と、おじいさんは注文しました。「おじいさんてものは、部屋のすみに坐ってるよ。船にのぼったりせんぞ。」
 
オランダのある漁村の風景、それぞれに個性的で感受性の強い子どもたち、働き者の大人たち。ずーっと昔から(そしてこれからも)変わらずに続いていく生活(まさに生活)の中で、人々が描いたささやかな夢。
その夢をかなえるために、積極的に進み始めた子どもたち、それに動かされるように力を添えていく大人たち。

今の子どもたちが、この本を受け入れるだろうか、面白いと思って読むだろうか、と、ふと思いました。古いかもしれないとも思いました。でも・・、好き。大好き。