『モギ 小さな焼きもの師』 リンダ・スー・パーク

12世紀後半、韓国。
孤児モギは、橋の下で暮らすトゥルミ老人の手で育てられました。当時、村では「孤児は縁起がわるい」と考えられていたため、モギには友だちがひとりもいませんでした。だから、トゥルミいじいさんとの結びつきは特別なものでした。
まずしさのなかのモギのまっすぐさ、やさしさは、トゥルミじいさんの人生観を映しています。
生きるための実用的な知恵だけではなく、人としてどのように生きるべきかを教え続けたトゥルミじいさん。互いを思いやる優しさに胸を打たれます。

文章の美しさ、原作もきっと素晴らしいのでしょうけれど、日本語として、なめらかで、やさしく、美しい文章に、安心して、ついていけました。まるで、日本のある時代の物語のように、すんなりと入っていけました。翻訳物であることを忘れてしまいそう。
主人公が置かれた環境はとても厳しいものですが、ユーモアがいっぱいで、からっと明るいのです。

さて、モギが育った村は、青磁つくりの焼きもの師たちの村でした。なかでも、村一番のミン親方の技に、モギはひきつけられるのです。そのミン親方の作品を壊してしまったことにより、モギは、親方の下働きをすることになるのです。
いつか自分で焼く梅瓶を頭に描きながら、モギは働き始めます。

親方のおかみさんが作ってくれたお昼のおべんとうを見てモギは思います。
>「王様のごちそうにだって負けないぞ。・・・この世では、働いていただく食べ物がなんといってもいちばんのごちそうなのだ。」
贅沢な時代にあるわたしの胸に、しんと収まり、静かに輝くことばです。

来る日も来る日もひたすらに粘土を漉し続けたモギが、ある日、ふっと漉し方の加減を習得する瞬間の描写が好きです。
モギがいつか山の中で鹿を見たしんとした瞬間を重ねながら描かれる透明で静かな、そしてとぎすまされた文章は、美しくて、心を揺さぶられるのです。
わたしも、そして誰もが様々な場面のなかで、こうして、ふっと何かを捕まえる感覚ってあると思うのです。来る日も来る日もただただもくもくと繰り返すことによって、いつか突然なにかを突き抜けた、と感じるときが。説明できないこのつきぬけの感動が蘇ります。
>「もう一度泥を漉しながら、モギは、雲の中から歩みでた心地がした。だが、そのふしぎな感覚がどこから来たか、それを語る言葉は永久に雲にかくれたままだろう。」 くりかえし粘土を漉す作業そのものが、夢を見ては裏切られまた夢をみては裏切られ・・・何度もくりかえされるなかで、磨き抜かれて輝きを増していくモギそのもののように感じました。

いつかろくろをまわしたいと願うモギに親方が告げた言葉は、「この仕事は息子に継がせるものだ。・・・おまえはわしの子どもではない」
絶望するモギにトゥルミじいさんは言います。
「モギ坊よ。ひとつの戸を閉めた風が、別の戸をあける。そういうこともよくあるぞ」

物語後半、モギがひとり旅だつところから、物語は一気に盛り上がります。
旅の途中の大きな災難。
いったいどうするのだろう、この後モギは。絶望するほかない・・・
モギがかけらを拾い集め始めた時、その強さに打たれました。まるで、希望のかけらを拾い集めているようでした。
そして、
旅の終わりにモギが感じた「この世には言葉にならない思いもあるのだ」という言葉をモギとともに静かに反芻するのです。

ラストがとてもよかった。
苦しい旅(そして彼を成長させた旅)から戻ったモギを待っていたニュースは二つ。その深い悲しみと喜びに、そしてすがすがしい結びの言葉に、胸がいっぱいになってしまう。
新たな長い旅を始めるモギ、トゥルミ(鶴という意味だそうです)じいさんの「一つの山、ひとつの谷、一度に一日」ということばを胸に刻みながら歩き出す若者に幸多かれ、と祈りつつ、読了しようと、最後のページをめくったとき、こんな一文が目にとびこんできたのです。
>「韓国の国宝のひとつに、高麗時代に作られた青磁の梅瓶がある。象嵌で仕上げたその美しさはほかに類がない。意匠の主役は鶴(トゥルミ)である。・・・作り手については、なにもわかっていない。」
すっかり安心しきっていたのに、こんなこと言われたらたまらないではないですか。涙がもう・・・。