『お話を運んだ馬 』 I.B.シンガー

第二次世界大戦中、故郷ポーランドから、ユダヤ人として、ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡って生き延びたシンガー。
絶滅させられた文化と人々の思いを残そうとして、故郷の言葉イディシ語で書かれた物語九編。

表題作「お話の名手ナフタリと愛馬スースの物語」
主人公ナフタリはお話の大好きな少年でしたが、彼の住む町には本屋がありません。年二回本を背負って行商に来る本屋のおじいさんを待って、ナフタリは少しずつお金を貯めています。しかし、行商の本屋さんは、運べる本にも行ける場所にも限界があるのです。
本屋のおじいさんのことばが心に残ります。
 「今日、わしたちは生きている。しかし明日になったら、きょうという日は物語に変わる。世界ぜんたいが、人間のすべてが、ひとつの長い物語なのさ」
 「宇宙には数えきれない世界があって、地球では起こらないことが、よその世界では起こりうる。
  見る目があり、聞く耳を持つ人は、だれでも一生、語りつくせぬほどの話を自分に取りいれるものだよ」
ナフタリは、いつか本屋になって、遠くの村や町まで、お話を届けたいと思うのです・・・

こんなお話から始まる物語集は、作者の少年時代の自伝的物語や、愚か者の町ヘルムの法螺話などが、交互に語られます。
どのお話にも、ユーモアと温かい作者の目を感じます。
これは、貧しい暮らしをユーモラスなお話で紛らし、助け合い支え合ってきた故郷の人々に対する作者の愛情と郷愁でしょうか。

好きなのは、おばさんが玄関先のベンチに腰掛けて、子どもたちに(足元のねこにまで)話して聞かせた「ランツフ」という妖精(日本の座敷童子のようなものでしょうか)のお話。
お嫁に行く娘に別れにきたランツフの歌が好きなのです。
 「手洗いだらい
     金だらい
  肉切り包丁
     鍋料理
  別れはつらいな
     忘れないでちょうだいね」

また、頭の中にはいつもお話が生き生きと生まれてくる作者の少年時代。
学校の帰りにぐずぐずしているうちに降り出した雪が吹雪に変わり、すっかり道に迷ってしまった時、親切に助けてくれた人に「どこの子か」と聞かれ、ふっと「ぼく、みなしごなんだ」と答えてしまうところ、おもしろかったです。
貧しいけれど愛情豊かな(そして厳格な)家庭のなか、ユダヤ教のラビであるお父さんの、ずっと向こうのほうに、将来の夢を描いている少年を、なんともなつかしいような、ほほえましいような気持ちで見ていました。

 「僕が大きくなったら、エステレルとぼくについて書こう、一冊のお話の本ではなしに、本格的な小説を書き上げよう…」