『雨やどりはすべり台の下で』 岡田淳

黒っぽい服を着て、パイプをくわえて、ちょいと首を傾げて歩いている雨森さん。
マンションに住んでいながら、住民の誰とも挨拶しない、お付き合いしない。おかしな人。
マンションの前の公園を雨森さんが通りかかると、とつぜん雨が降り出しました。
公園でソフトボールをしていた十人の子どもたちはあわてて、すべり台の下のトンネルに駆け込みました。
なかなかやまない雨。
誰かが言います。雨森さんって魔法使いかもしれない。子どもたちがみんな雨森さんにまつわる不思議な思い出をもっていたのです。
かわるがわるに語りだす雨森さんとの不思議な思い出。
一章ずつが、一人ひとり違う語り手によって語られる物語。章ごとの違うテイストがおもしろいです。

ひと時もじっとしていない子どもたちが立ち止まる時、ふと心をよぎるさびしさ、くやしさ、むなしさ、せつなさ・・・からっぽさ。
ぽかっとあいた空っぽの心に染み入る不思議な出来事。
それを見せてくれるのはいつも、偏屈そうに見えるあの雨森さんなのだけれど、ほんとうに雨森さんが何かをしたのか、ただの偶然なのか、だれにもわからないのです。

一郎と恭子の海と麦藁帽子の話。
マンションのドアを開けると、部屋があるはずのそこは海。それは日がしずむまでの魔法。
そこで一郎が出会った見知らぬ少女が、ある日、となりに引っ越してきます。海であの日、自分が忘れていった麦藁帽子をかぶって。
そして、一郎と同じ思い出をもって。
これは魔法?
一番すきなのは「真夜中のこんにちは」です。
真夜中、眠れずに起き出した少女が、ベランダに出る。部屋の明かりが暗い道路にうつってじぶんの影が見える。そして別の部屋の誰かの影も。影法師同士で手をつなぐ話。
様々な行き違いの果てに、心に寒い隙間ができていた少女がもらった温かいもの。
読んでいると、わたしの心の中にもぽっと灯をともしてもらったような気持ちになります。

不思議な小さな魔法が子どもたち一人ひとりの心に忘れられない何かを残していくのです。
大仰なものではなくて、ほんのちょっとの幸せが子どもたちの傷ついた心を励ましてくれます。

語り終えたとき、子どもたちは改めて雨森さんという人に温かな親しみを感じ始めます。
不思議な魔法使いのような人ではなく、自分たちと同じように、傷をもち、大きな抱え物を持った人として。
と、同時に、それぞれがさびしかった思い出とそれをどんな不思議な方法で満たされたかを互いに語ることによって、子どもたちの何かが変わっていきます。
思い出が共有のものになることによって、自分の抱えていたものが特別なものではないことを知って、ばらばらだったお互いが結ばれた輪になっていくようです。

引っ越していく雨森さんに、子どもたちは贈り物をしたいと考えます。
その贈り物は・・・子どもたちが初めて見せる雨森さんのための魔法だったと思います。
最後の場面で、じんわりと涙が出てしまいました。
ありがとう、と言いたい・・・語ってくれた子どもたちに。雨森さんに。そして、雨森さん、お元気で、幸せに・・・と。

雨降りの中で語られる不思議な物語、というのが素敵でした。
岡田淳さんの本で一番好きなお話は?と聞かれたら、これからはこの本の名前を言おうと思います。